第十四話 ケリ/運命の夜

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第十四話 ケリ/運命の夜

 祭りの当日が訪れていた。  澄み渡る空の下、大神殿からは神前に捧げる歌と楽器の音が響いてくる。参道には花が飾られ、着飾った人々が行き来する。今年は特別な祭りとあって、参道の側では酒や菓子が振る舞われている。  誰もが、これから目の辺りにするであろう一生に一度の光景への期待に胸を膨らませ、街の熱は、最高潮に達していた。  ケリは、大通りに面した離宮の一つの二階から、その様子を、忸怩たる思いとともに眺めていた。  既にやるべきことは終えている。事前の打ち合わせの通り、ティイ王妃とカエムワセト王子は飾り立てた船で大河を渡り追え、行列とともに参道の先にある「神々の離宮」と呼ばれる神殿へと入った。ラメセス王子は大神殿での儀式に参加しており、儀式が終われば、神像を載せた神輿とともにとともに神殿へと向かう。その神輿が到着するのが夕刻で、ウセルマアトラー王は、それに合わせて王宮からやって来る。  大神殿のほうから、わっと歓声が上がった。  「神輿が出たぞ!」  「早く、早く。見に行こう」 人々が我先にと参道のほうへ走り出す。神輿と神官から成る神像の行列を最前列で見たいような見物人たちは、既に何時間も前から、一番いいところに陣取っているはずだ。今から行っても、木や塀にでもよじ登るしかないだろう。実際、参道沿いの道は、そんな風にして無理やりにでも行列を見ようとする人たちでごったがえしている。中には、二階建ての家の屋根にまでよじ登る者がいるくらいだ。  そんな光景に苦笑しながら、ケリの心は沈んだままだった。  あれから何度も、それとなく、恐ろしい陰謀を諦めさせようと試みてはみたものの、ティイは頑として受け入れず、カエムワセトも、母の言うなりに従っていた。  (ことが起きるのは、陛下が王宮に戻られてからだ。それまでに…伯父さんたちが何とかしてくれれば…) 彼は、ティイ王妃の企てを伯父に報告した時のことを思い出していた。  「――そうか。遂に、陛下の御身にまで手をかけると言い出したのか」 王宮の端の、来客用の小部屋。  偶然を装ってペレムヘブに声をかけ、人の居ない場所に呼び出したのだ。誰かに見られては面倒だ。周囲に気を配りながら、ケリは、単刀直入に聞いた話を報告していた。  ペレムヘブは驚きもせず、僅かな沈黙のあとに口を開いた。  「まさか、こうも巧くいくとはな」  「巧く?」  「ある意味では、ラメセス殿下とわしが、そう仕向けたのだ。短気なティイ殿のこと、体面を汚されたと認識すれば、反動で派手な行動に出るだろう、とな」 絶句しながらも、ケリは、妙に納得していた。ラメセスが、執事のメリアメンやその他の、企みに関わる主要な人々を次々と摘発としていったのは、ティイを追い詰めて、もっと派手な行動に出させるためだったのだ。  「…狙い通り、ということですか。では、これでティイ様たちのことは…」  「ケリよ。」  「はい」  「お前は段取りどおり、祭りの当日、賊を王宮に引き入れ、陛下の寝所まで案内するふりをせよ」  「えっ?」 意外な言葉だった。  てっきり、この企ては、実行に移される前に阻止されるものと思っていたのだ。  「でも――それでは、陛下の身が…」  「事前に襲撃があると分かっていれば、幾らでも防ぎようはある。確実に罪に問うためには、賊が実際に王の身に危害を加える意図で王宮の中に踏み込んだのだと、証明出来ることが重要なのだ。”未遂”では意味がない。何しろ相手は、王妃と王子なのだからな」 微かな不安穏を感じ取ったものの、ケリは、黙って頷くしかなかった。  「ティイの意のままにせよ。もしも計画に変更があったなら、速やかに伝えるように。――よいな」  「…はい」 それが、数日前のこと。  あれから伯父とも、ラメセス王子とも顔を合わせる機会はなかった。ティイはいつになく物静かで、その反面、仕えている侍女たちが怯えるほどに鬼気迫る、怒りの気配を漂わせている。  カエムワセトのほうはというと、何かに取り憑かれたような浮ついた態度で、普段より陽気に振る舞っていた。  ティイの計画では、王の寝所に賊が侵入するのと同時に、カエムワセトが兵を率いて兄ラメセスの身柄を拘束し、父王暗殺の容疑者として引き立てることになっている。そちらも心配ではあったが、ラメセスはれっきとした軍人で、しかも共同統治者として都の警備のことは知り尽くしている王子ならば、自分で何とか出来るのだろう。  問題は、ケリのほうなのだ。  賊を王宮に引き入れて、それから――。  それから、一体どうする?  わあっ、と神殿のほうから歓声が沸き起こる。  「ウセルマアトラー陛下、万歳!」  「ラメセス殿下、万歳!」  (…ああ、ラメセス殿下と神像が、参道を渡りきったのか) ケリは顔を上げ、少しほっとして表情を緩める。聞こえてくる歓声は平穏そのもので、ありきたりの内容だった。カエムワセト王子を讃える声は無く、彼を皇太子に、などという不協和音は混じっていない。  ティイ王妃は、一体どんな顔をしてこの歓声を聞いていることだろう。  (そうだ。神殿前の儀式が終わったら、陛下は王宮に戻られる。準備しないと…) 太陽は既に傾きかけている。予定では、王の乗る御座船がそろそろ波止場に到着する頃だ。出迎えに行かなければ。  他の執事たちはもう、とっくに自分たちの持ち場に向かったようだ。人の出払っている離宮の中には、僅かな使用人しか残っていない。  離宮の裏口から駆け出そうとした時、目の前に、ぬっと大きな人影が立った。  「ケリ」  「…伯父さん? 何故、ここに」 ペレムヘブは何も言わず、甥の腕を掴んで、通りから見えない壁際へと引っ張った。そして、何事かと問い返す暇も与えずに、早口に言った。  「ラメセス殿下と話し、結論を出した。お前には役目を与える。重要な役目だ」  「役目…?」  「鷹の首は、獲られねばならん」 ケリの表情が硬直する。一瞬、どう答えていいかが分からなかった。  「鷹」という言葉が何を意味するのかが、分からないはずもない。それは神々の王である鷹神の、地上における代行者を指す言葉なのだ。  「――どういう、ことなのです? 陛下のお命を狙っているのは…ティイ様では…」  「そうだ。そして我らは、それを敢えてことにした。あのお方には、全ての罪を負っていただく」  「そんな!」 肩にかけられた手を振りほどき、ケリは、必死に言い返した。   「見殺しにせよ、と仰るのですか?! 出来ません! 廷臣である貴方が、主君に向けられる刃を良しとするなど! どうして! どうして、そのようなことを!」  「声を荒げるな。聞け、ケリよ。王位更新(セド)祭の時、お前自身が言ったことではないか。『走れぬ王は、統治の権威を失ったと看做され、廃位される』――王はもはや、走ることも出来ぬ、飛べぬ鷹だ。そうでありながら、未だ過去の栄光を夢見たまま、高御座(たかみくら)にあられる。その間にも、現つ世の出来事は日々移り変わり、人々が王の聖断を待っておるというのに」 堂々たるペレムヘブの声には、いささかの揺るぎもない。既に迷いの段階など越えたのだろう。じっと見下ろす眼差しには、諦めと、覚悟の色が静かに浮かんでいる。  「だから、って…」 ケリはただ、口ごもるしかなかった。  「だからって、力づくで排除する、などと…」  「他に、どのような方法がある? 陛下はいまだご健在にして、かの『大王』の如き長寿を願っておられる。その『大王』はといえば、一体、何を残されたのか? 国庫を浪費し、壮麗な建造物を築き、百人の妃に費やした。そして長き治世の果てに有能な後継者たちも、家臣たちも皆、死に絶えて、王家の混乱を招いたのだ。我々もまた、ただ時を待ち、同じことを繰り返せば良いと申すのか? 今、この時に! 数々の大国が消え失せてゆく、この混乱の時代に!」  「……。」  「無いのだ、良き方法など。我らはこの国の秩序を維持せねばならん。――そのためには、どのような手も打たねばならぬ」  「……。」 もちろん、納得など出来ない。  けれど確かに、ペレムヘブの言うことにも一理あると思ってしまっている自分がいる。  ウセルマアトラー王は、老いたのだ。かつての栄光の日々は遠くに過ぎ去り、今の玉座にあるものは、権威と権力だけを頑なに握って話さない、抜け殻に過ぎなかった。  「鷹の首は、獲られねばならんのだ」 もう一度、その言葉を口にすると、ペレムヘブは、ケリの手の中に何かを滑り込ませ、その上から大きな両手で包みこんだ。  「賊が陛下の寝所に潜り込んだら、これを使え。全てはお前に任せる。――お前の心の正義(マアト)に」 それだけ言い残すと、ペレムヘブは、振り返りもせずに大通りのほうへと去ってゆく  壁に背をつけたまま、ケリは、握りしめていた手を開いた。  手の中に置かれていたものは、陶器で作られた小さな呼子だった。  市中の見回りや、王宮の警備兵たちが仲間に異常を知らせるために使っているものだ。おそらくは、賊を取り押さえさせるために吹け、という意図なのだろう。  (僕の…僕の正義(マアト)は…) ずるずると壁に沿って地面に座り込みながら、彼は、顔をくしゃくしゃにして低く呻いた。  どうすればいい。  自分は一体、何に、誰に従えばいい――。
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