第三話 ケリ/偽りの下降

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第三話 ケリ/偽りの下降

 日々はあっという間に過ぎ去り、都へ戻って来てから一週間が過ぎた。  転職の手続きは全てペレムヘブがこなし、その裏で、口裏合わせとでも言うべき注意事項が申し付けられた。  曰く、これが潜入捜査であることは、決して誰にも知られてはならぬということ。  ラメセス殿下の名は決して出してはならぬこと。怪しまれたり、疑われたりすれば、即座に任務失敗と見做されること。ペレムヘブは、表立っては介入出来ないこと。  そうしてケリは、謹慎処分という名の待機期間を経て、新しい職場を訪れていた。  都の郊外、物流の中心である港前に佇む倉庫街、「白い家」。  ここは、この国の南半分――川の上流地域で徴収された税、即ち穀物や家畜、布などを集積する場所だ。  王家の私有地以外の全ての土地から上がってくる物資のうち、王家の抱える職人や役人たちの給料は、全て一度はここに集められてから分配されてゆく。それだけに、膨大な量の物資を管理できるだけの頑丈な建物と、警備と、管財人とが準備されている。  ケリも、今日からそのうちの一人として働くことになるはずなのだった。  入り口で用件を告げた後、通されたのは、書記たちが集まる書庫のような場所だった。ケリと同じくらいの年頃から、遥かに年かさの男まで、机を並べ、書架の間を忙しく行き交いながら、せっせと帳簿をつけている。  「おう。あんたが、噂の左遷されてきた新入りかい」 出迎えたのは、丸っこい指をした小太りな男で、にこにこしながらケリの肩を気安く叩いた。  「私が、ここの監督官を勤めるネブセニだ。一応あんたの上司ってことになるなあ。ま、一つ、よろしくたのむ」  「よろしくおねがいします。でも、左遷、って…。」  「そう聞いてるぞ。何でも、皇太子殿下の不興を買った、とか。まぁ、偉いお方なんぞ一時の感情に流されても、数年後には忘れていらっしゃるさ。それまでの辛抱だ。なあ」  「…はあ」  「で、一体、何を言ったんだね。そんなに叱られることになるなんて」 忙しく筆を動かすふりをしながら、近くの書記たちがそれとなく会話に耳を傾けているのが判る。  仕方なく、ケリは事前の打ち合わせ通りのことを口にした。  「何も言っていませんよ。ただ、『王位更新祭』での王の走りについて、老いた馬に鞭を当てても走るわけがない、と言っている人がいた、と話しただけで…。」  「ぶふっ」 目の前の男は、人目もはばからずに盛大に吹き出した。後ろで聞いていた、他の書記たちも同じだ。くすくすと、忍び笑いが漏れてくる。  「ふっ、それは…正直過ぎたな…ぶふっ…」  「違いますよ。僕が言ったんじゃない。そんな風に、悪口を言ってる人もいました、って…」  「まあ、まあ。言っちまったものは仕方がないなあ。」 何がおかしいのか、まだ肩を震わせたまま、ネブセニと名乗った男はケリに顎をしゃくってみせた。  「それじゃあ、着いてきてくれ。あんたに任せたい仕事がある。宰相殿の付き人をやってたんなら、読み書き計算は問題ないだろう? 祭典も読めるかね。神聖文字の習得は」  「ええ。一通りは読み書き出来ます」  「なら結構。うちの仕事には神殿とのやり取りもあるんだが、どうにも神官どもの寄越す書簡は堅苦しくて、街言葉に慣れた下級書記学校出身の連中には読み解きづらいらしい。出来る者の数も少ないし、あんたがやってくれると助かるよ」  「かしこまりました」  「ははっ! ”かしこまりました”と来たもんだ。こいつァ益々、面白いね」  「……。」 どうやら、この男は笑い上戸らしい。  倉庫に沿って続く廊下を歩いている間も、ケリの耳には、雑音のように周囲のひそひそ話が届いている。  「見ろよ、おい。あいつが噂の、『下の国』の宰相殿の甥っ子らしいぞ。」  「何でも、堅物の皇太子殿下にウケない冗談を言って激怒させたとか」  「そりゃあお気の毒だねえ。ラメセス殿下と言やぁ、くすりと笑いもしないことで有名だ。カエムワセト殿下のほうだったなら――」  (…やっぱり、ここでも、カエムワセト殿下のほうが人気があるんだな) 聞き耳を立てながら、ケリは、何となく胸の奥にむずむずする思いを抱えていた。  老いた馬の話をしたのは事実だ。  だが、不興を買った、というのは事実では無い。  あれは完璧に「演技」だった。ケリを任地替えし、誰にも疑われずにこの場所に送り込むための。  そしてケリには、任された重要な役目がある。  「職人たちへの給与は、『白い家』の国庫より支払われる。それが滞っているとなれば、横領はおおっぴらに、しかも、深刻な程度で行われている可能性がある」  伯父、ペレムヘブの言った言葉が耳の奥に蘇ってくる。それとともに、あの時の深刻な声色と、ラメセスの表情も。   「――このままでは、この国が割れてしまう」 ケリは、ぐっと唇を結び、拳に力を込めた。  (そうなる前に、王家の財を食い荒らす首謀者を見つけ出す。僕の、この耳を使って) まずは、怪しまれぬように仕事をこなし、ここに務める人々を覚えることだ。それから、怪しい人物に目星をつけてゆく。  出来るかどうか、ではない。  やらねばならないのだ。  「白い家」の仕事の概要は、ある程度は知っていた。伯父である宰相ペレムヘブの管轄にも、同じ機能を持つ施設があるからだ。  この国の国土は、全部で四十ニの州に分けられている。うち二十が大河の上流、「上の国」。二十ニが大河の下流、「下の国」。各州にはそれぞれ州知事がおり、州ごとに特定の季節にまとめて割当て分の収穫物を「税」として送ってくる。  「上の国」の税を集める場所が、都の郊外にある「白い家」。  「下の国」の税を集める場所が、下流地域にある「赤い家」だ。  その税収は、街や村落ごとに作られた、戸籍台帳に従って定められている。  住民と家畜の頭数を調べる国勢調査は二年ごと。この「白い家」には、その調査報告書が州ごとに分けて管理されている。倉庫番たちの仕事は、自分に割り当てられた担当地域の台帳と、送られてきた物資の量を突き合わせ、過不足を確認すること。或いは、その後の出納の管理を行うこと。  本来なら、作業量の多い、忙しい仕事のはずなのだ。  だが――  「さて、と。ここが、あんたの仕事場だ。」 ネブセニに案内されたのは、先程見た書庫とはずいぶん雰囲気の違う、妙に緩慢な空気の漂う部屋だった。  台帳らしき巻物は書架に収まっているが、そこで働く書記たちは、全く忙しそうな雰囲気ではない。それどころか、足の短い座椅子を日向に持ち出して、真っ昼間から談笑などしている。  「こら、お前たち。今日は新入りが来ると言っておいただろ。幾ら何でも、少しくらい真面目にやれ」  「へぇい」 書記たちは、やる気もなさそうに立ち上がり、それぞれの持場へ戻ってゆく。   頭をかきながら書き物机の前に座った一人の書記は、ケリのほうをちらりと見て、人懐っこい笑みを浮かべて見せた。肌の色の浅黒い、鼻筋の通った異国人風の顔立ちをしている。それに、淡い色をした、珍しい色の髪の色だ。  「ここは、御料地の担当倉庫だ」 ネブセニが説明する。   「御料地…というと、王家の私有地ですか?」  「そーだ。御料地で採れた作物や生産品なんかも、ここに送られて来るんでな。ま、他州の税とは違って歩合だの、戸籍との突き合わせだのはやらなくていい。収穫高は私有地の管財人が現地でやってる。ここの連中は、送られてきた品の数を数えて記録して、指示があれば、言われたとおり、言われた量を払い出すだけだ。簡単だろう?」  「…はあ」 そう言われると、確かに、ずいぶん簡単な仕事に思える。  だが、ケリには疑問が湧いた。  「あの、御料地から上がってきた品の払い出し先、って? それに先刻、神殿とのやり取りがどうとか、言っていませんでしたか」  「ははあ、それは良い質問だぞ。」 ネブセニは、黄ばんだ歯を見せながら笑った。  「御料地は王家の私有地だから、そこからの上がりは当然、王家ものだ。ほとんどは王家の衣食住、それから後宮に費やされるわけだが、恐れ多くも陛下が家臣に褒美賜る時や、神殿への寄進物にも、ここからの物品の払い出しが行われる。ほれ、お前さんがやらかした、あの王位更新(セド)祭用の物品だって、ここから払い出したんだぞ。」  「ああ、成程――」 ようやくケリにも、話が見えてきた。  つまり、この「御料地」から送られてきた物資を管理する倉庫の倉庫番の仕事は、入ってくる分には気を遣わず、出てゆく分だけを管理すれば良いのだ。  (楽な仕事だな。とはいえ、数字が合わなくなったら大事だと思うんだけど) 彼は、いくらかぎこちない手付きで台帳に数字を書き込んでいく、異国人風の書記の手元に視線をやった。麦、麻布、干し魚、ぶどう酒…といった文字が見える。  その時ちょうど、書庫の奥から、前歯の欠けたひょろりとした男が一人、ひょい、と顔を出した。がっしりとした体格で、額に傷跡が残り、片足を引きずっている。傷はまだ新しく、せいぜい数年前に負ったもののようだった。  「あれ。監督官、どうしたんです」  「おう、ヘルマイ。丁度いい。この新人に、仕事を割り振ってやってくれ」 ネブセニは上機嫌にケリの肩を叩いて、前に押し出した。「こないだ話した、新入りだ」  「ああ、『下の国』の宰相さんとこの? へえ。もっとお坊ちゃん風なのかと思ったら、そうでもないな」  「よろしくお願いします」 褒められているのか、けなされているのか分からないまま、ケリは、軽く頭を下げた。  「おーおー、真面目だねぇー。ま、ここじゃもっと気楽にやりな。肩肘張るような仕事じゃないんだ」 書記にしては妙にがっしりとした体格の男は、だらしなく笑いながら座椅子の一つに腰を下ろす。  「それじゃあ、頼んだぞ」 言い残して、ネブセニは引き上げてゆく。  上司が居なくなったとたん、仕事をしているふりをしていた書記たちは、やれやれという顔で筆を投げ出して、再び、日向のほうへ椅子を持ち出した。  そんな様子を咎めるでもなく、にやにやと眺めやりながら、ヘルマイは言った。  「差し当たって、そうだな。まずは、書類の棚くらいは覚えておいてくれや。そのへんが神殿とのやり取りだ。たまぁに、祭りに使う物資を融通してくれ、とか依頼が来るんでな。あとはまぁ、おいおいだ。デカい祭りも終わったばかりで今は暇だし、次に忙しくなるのは、『谷の大祭』の時くらいだろうなぁ」  (”谷の大祭”…) それは毎年、大河の水位が最大に達する時期に都で行われる大きな祭りで、今年は王の在位三十年目を越えた祝いも兼ねて、いつもより大々的に行われると聞いていた。  「それと、ここにいる連中を紹介しておくぜ。そこの色男はマハバール、向こうにいるのがパレー。あっちのはペルッカだ」  「…変わった名前の人が、多いですね?」  「異国人の血を引くやつが何人かいる。よくもまあ、書記学校なんぞに潜り込んだもんだよ」 ヘルマイは、本人たちに聞こえているのも気にせずに言う。  「知ってるか? その昔、この国に、北の海から異国人どもが押し寄せてきた時代があったんだ。俺の親父がガキだった頃さ。それを、今の陛下が片っ端から倒して、追い払った。それでも追い払いきれない連中は、仕方なく下流のほうや辺境に住まわせて、従順だった奴らは傭兵として雇うことにした。」  「聞いたことはありますよ。都の西の葬祭殿に、その戦いの記念の彫り物が作られているって」  「おう、そうらしいな。ま、そん時の連中の子孫とかだ。あいつらも、本人はこの国の生まれだが、親の世代は大抵、他所から来た傭兵だ。ここには、そういう連中も大勢いるよ。親兄弟が王様の軍隊で傭兵やってるから、その縁故ってやつだなぁ」  「……。」  「気のいい連中さ。ちぃとばかり変わったところもあるがな。初歩の読み書きさえ出来りゃあ、仕事する分には問題ない」 ぴしゃりと膝を叩いてから、ヘルマイは立ち上がった。  「さぁてと。そいじゃ、俺はちょっくら隣の倉庫に行ってくる。お前は適当に、そのへんで仕事してるふりでもしてな」  「…はい」 どうやら、具体的な仕事の指示などは、何も無いらしい。  困惑した様子のケリをその場に残したまま、男は、真昼の日差しが降り注ぐ表へと消えていった。  「白い家」での仕事は、こんな風にして始まった。  想像していたものとはあまりに違う雰囲気に、拍子抜けするくらいだ。  御料地の倉庫番たちは皆、時間通りに出勤はしてくるものの、ほとんど仕事らしい仕事もせず、時々思い出したように書架の整理をする以外は、日がな一日、倉庫の周辺で雑談したり、飲食をしたり、時には持ち込んだ盤将棋に興じたりして過ごす。  ケリが席を外しても、書架のあたりをウロついてあれこれと台帳を漁っていても気にも留めず、質問をすれば一応は答えてくれるものの、仕事の話はあまりしたくない、という雰囲気だった。  そうして、一週間ほどが過ぎた。  その日、ケリは真っ直ぐに家には戻らず、都の中心部にある伯父ペレムヘブの屋敷を訪れていた。  仕事を終えたら来るように、と呼び出されていたのだ。ただし、正式な客人というわけでもない。  目立たぬよう裏の勝手口から中に入り、書斎を目指す。子供の頃から何度も訪れ、少し前までは宿を借りていた屋敷だ。使用人たちとも顔見知りだし、屋敷の中の構造は、隅々までよく知っている。  「失礼します」 屋敷の主、宰相ペレムヘブは、今日も書簡の束に囲まれながら、入り口に立った甥のほうに顔を上げた。  「入れ。もう少しで片付く」  「はい」 微かに、濡れた墨の匂いがした。  乾いた紙と、埃っぽい気配。常に仕事に追われる多忙な宰相の仕事場ともなれば、浮ついた気配など一つもない。積み上げられている書簡のほとんどは、「下の国」の各州から送られてくる報告書だ。  ペレムヘブは、都にいながらにして遠く離れた大河の下流の二十ニ州の様子を正確に把握し、的確な指示を出しているのだ。  「新しい助手は、雇われたのですか」 書き終えた返書を丸めているペレムヘブの手付きを見やりながら、ケリが尋ねる。  「まだだ。だが来週から、書記を二人ほど寄越してもらうことにしている。お前くらい察しの良い者なら良いのだがな。」 巻いた紙に蜜蝋の印を捺し、宛名を表の端に書き入れると、男は、ゆっくりと立ち上がった。  「新しい仕事の具合を聞きたくてな。場所を移そう」  「はい」 書斎の奥には、ニ階の見晴台に通じる階段がある。卓と長椅子が置かれたそこは、接客用の居間としても、仕事の合間の気晴らしの休憩用にも使われている場所だ。  卓の上には、軽食と飲み物が用意されている。  柔らかな敷物の敷かれた長椅子にゆったりと腰を下ろし、ペレムヘブは、飾り気のない質素な杯を手にした。  「どうだ。仕事には慣れたか」  「ええ、まあ。大したことはやっていません。というよれり、ほとんど何もすることが無いんです。ここにいた頃の仕事の忙しさに慣れてしまって、暇すぎるくらいです」  「ほう。」  「御料地――の、担当倉庫にいるんです。麦の収穫も終わったばかりで、入ってくる物もほとんど無いし…神殿への払い出しがあるのは、夏の祭り以降だと聞いています。本当に仕事がなくて…。お陰で、台帳の調べは進みました」 皿に盛られた炒り豆をひとつつまみながら、ケリは、薄っすらと暮れゆく西の空を見やった。  見晴台の眼下には緑の中庭があり、その向こうには、通りの様子が一望できる。  宰相の屋敷のある辺りは貴族や高級役人ばかりが暮らす裕福な地域で、立ち並ぶ大きな屋敷の壁はどれも新しい漆喰を真っ白に塗りつけて、その上から色とりどりの模様を描いてある。大神殿の高い屋根と、王宮の入り口に立つ高い吹き流しの旗。それに、川の対岸の西の谷の入り口も見える。  黙っていたペレムヘブが、静かに口を開いた。  「のほうは、どうなのだ。」 ケリの動きが、一瞬、ぴたりと止まった。  本来の役目。  ――「白い家」の、国庫からの横領の実態を掴むこと。  「まだ、確かなことは何も。何か突き止めれば、すぐにお知らせします。」  「台帳を見ただけでは分からんだろうな。帳尻は、うまく合わせられているはずだ。でなければ直ぐに発覚していただろう。おそらくは、陰謀は、”文字として書かれてはいない”。…敢えてお前を送り込んだのは、人の言葉の端にしか浮かび上がらぬ秘め事を捉えさせるためなのだ。」  「歩き回って、人の噂も聞いています」  「それだけでは足りん。積極的に、自分から相手の懐に入れ。心を許した者にのみ打ち明ける秘め事もある」  「…難しいですね」  「そうだろう。だが、それが出来ぬ者では、巧く人の上に立つことは出来ん。他人の舌に己が心の内を語らせよ。内に潜むものが善意か悪意かを見定めよ。まずは、同僚たちに信用されることだ。」  「分かりました…。」 頷きながらもケリは、これは、思っていた以上に大変そうだぞ、と内心で呟いた。  考え込んでいる甥を横目に眺めながら、ペレムヘブは、少し声の調子を和らげた。  「ところで、お前の新しい仕事の同僚は、どんなふうだ? 少しは親しくなったのか」  「え? あ…はい。まあ」  「どうした。歯切れが悪いな」  「親しく、の中身が…。その、言い方は悪いのですが、彼らは仕事をしません。一日じゅう、盤将棋(セネト)やお喋りに興じていて、…僕などは、どうやって入っていけばいいものやら。はっきり言って、近づきようがないのです」  「ふむ。」 ペレムヘブは、小さくため息をついた。  「一緒になってサボりをしろ、と言っても、お前はそれほど器用なたちではないな」  「それに、彼らのほとんどは元が異国人で、どうにも話が合わないのです。この間なんて、昼食用に茹でた羊の目玉を持ってきたんですよ? ぞっとして、近づくことも出来ませんでした…。仲間同士、異国語で喋っていることもあって、それは僕には聞き取れません。」  「異国人…、か。」 宰相は、眼差しをどこか空の彼方へと向けた。  「察するに、ルッカ人かシェルデン人あたりだろう? 元傭兵の。それとも、何代か前の王が娶られたミッタニ人の妃の付き人たちの子孫か」  「今の陛下がお若かった頃に、追い払った人々の子孫だと言っていました」  「成程、”海の民”か。」 早熟れの(あんず)をひとつ取り上げると、ペレムヘブは、その赤らんだ表面に視線をやりながら呟いた。  「『下の国』はもちろんのこと、近頃は、『上の国』の都にも異国人は多い。衛兵だけではない、役人もだ。王宮の外にも内にも、…後宮に仕える執事でさえも。もちろん優秀な者は居る。だが、わしはどうにも信用出来ん。傭兵も、他所者も、利を貪れるうちは居着いても、都合が悪くなれば直ぐ逃げる。そういうものなのだ」 ケリは、普段はほとんど雑談をしない伯父が雄弁に語るのを、珍しく思いながら聞いていた。  同僚のペルッカや、マハバール。彼らも、給料が悪くなるか、配置換えで今よりも忙しくなれば、さっさと辞めて居なくなってしまうのだろうか?  「――奴らに信頼されよ。だが、お前自身は信用はするな。耳を澄ませ、見えざる糸を手繰れ。その先にある企みを探り出せ。真実の下僕(ヘム・マアト)として」  「はい。分かりました」 頷きながら、ケリは、無言に杯を干すペレムヘブの横顔を眺めた。  いつもどおり表情のない伯父の顔からは、どんな感情も読み取れない。だが、考えていることは何となく判る。  (あの時、僕と伯父さんはラメセス殿下の船に招かれた。…これは、いわば皇太子の密命だ。失敗しても良いような、軽々しい話では無い) やるべきことの説明は最低限で、事前の情報も殆ど無い。責任を負わされたわけでも、いついつまでに成果を出せと厳命されたわけでもない。だが、もし成果を得られなければ、いずれ王座に昇る男の信頼を失うだけでなく、伯父の面目を潰すことにもなる。  (もしかしたら、僕は試されているのかもしれない) 自分の分の杯を干しながら、ケリは思った。  ペレムヘブには息子がなく、娘ばかりが四人。いずれも既に高官のもとに嫁ぎ、国中に散らばって暮らしている。  最も近しい縁者である妹、ケリの母には息子が二人いて、長男は既に自分の家を構え、「下の国」で要職に就いている。  少し年の離れた次男のケリは、幼い頃から事あるごとにペレムヘブのもとに呼び出され、それとなく後継者としての資質を見極められてきた。いずれは養子に、という話があったと、母からは聞いている。そうなれば、次期の宰相か、そうでなくとも、それなりの椅子に就けることは間違いない。  立身出世にさほどこだわりはないが、出世欲が全く無いと言えば、嘘になる。  母や兄も期待してくれているのだ。将来のため、伯父に認められるだけの仕事はこなしてきたつもりだった。それらを台無しにはしたくない。  (期待に応えなくては…必ず)  西の空が赤く燃え立っている。  太陽は西の谷の端へと差し掛かり、低い空に、宵の明星が輝きはじめていた。
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