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クリームソーダ(2)
「うげっ」
メニュー表と格闘していると、聞き覚えのあるうめき声がした。顔を上げるとそこには、
「山野井先生」
「……なんでお前がここにいるんだよ」
山野井昇(やまのい・のぼる)先生がトイレらしきドアから出てきた。私の家のお隣に住んでいる男性で、マスターほどではないけどイケボの持ち主だ。かなり濃いめで渋めのナイスガイである。
「先生こそ」
「マスターは俺の同級生であり、親友だ」
「そうなんですか?」
「ウソつく理由がないだろ。あと、その先生ってのやめろ」
「だって、先生は先生ですし」
「何頼むか迷ってんの?」
「はい……いきなりクリームソーダとか頼んじゃってもいいものですか?」
マスターに聞かれないよう、後半は小さめに囁く。
「別に決まりはないし、好きなもの頼めば。マスターのクリームソーダ、本物のサクランボが乗ってるぞ」
「本当ですか!?」
思わず椅子から立ち上がった。サクランボは大好きな果物の中でも上位に入る。しかし、ひとりぐらしを始めてからは節約の毎日で、缶詰のシロップ漬けとも縁がない。
「知り合い?」
いつの間にか、マスターがテーブルの前に立っていた。もしかして、全部聞こえていたのだろうか。
「ただのお隣さん」
山野井先生が無表情のままそう答える。
「三濃川照(みのかわ・あかり)です。クリームソーダ一つ下さい」
「はい、少々お待ち下さい」
意を決して入ったお店で、お隣さんに出会うとは。やはり狭い町だな、と改めて思う。山野井先生を『先生』と呼ぶのは、彼が作家であり、私がそのファンだからだ。現在は引退しているが、別のペンネームで小説サイトに作品を投稿している。
「随分暗い顔だな」
山野井先生が言った。
「え?」
「カウンターに座れば? 空いてるし」
そう促されて、席を移動する。鞄を腕にかけ、水とコースターを持ってカウンターまで歩いた。山野井先生は右から二番目。私は反対側の端の椅子を選んだ。
「上司に、あなたは悩みがなさそうでいいね、って言われちゃったんです」
思い切って告白すると、山野井先生はくすりと笑った。
「やっぱりそう見えますか? 良く言われるんですよ、だから慣れてますけど」
「そんな言葉に慣れるな。俺は『悩みがなさそうだね』って言うやつと『もっと他に苦しんでる人がいるでしょ』っていうやつは信用しない」
山野井先生がこちらを向いた。
「悩みがない人間はいない。ないように見せてるやつと、そうじゃないやつがいるだけだ」
てっきり否定されると思っていた台詞を……気持ちを肯定され、私は胸が熱くなった。
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