クリームソーダ(2)

1/1
前へ
/8ページ
次へ

クリームソーダ(2)

「うげっ」  メニュー表と格闘していると、聞き覚えのあるうめき声がした。顔を上げるとそこには、 「山野井先生」 「……なんでお前がここにいるんだよ」  山野井昇(やまのい・のぼる)先生がトイレらしきドアから出てきた。私の家のお隣に住んでいる男性で、マスターほどではないけどイケボの持ち主だ。かなり濃いめで渋めのナイスガイである。 「先生こそ」 「マスターは俺の同級生であり、親友だ」 「そうなんですか?」 「ウソつく理由がないだろ。あと、その先生ってのやめろ」 「だって、先生は先生ですし」 「何頼むか迷ってんの?」 「はい……いきなりクリームソーダとか頼んじゃってもいいものですか?」  マスターに聞かれないよう、後半は小さめに囁く。 「別に決まりはないし、好きなもの頼めば。マスターのクリームソーダ、本物のサクランボが乗ってるぞ」 「本当ですか!?」  思わず椅子から立ち上がった。サクランボは大好きな果物の中でも上位に入る。しかし、ひとりぐらしを始めてからは節約の毎日で、缶詰のシロップ漬けとも縁がない。 「知り合い?」  いつの間にか、マスターがテーブルの前に立っていた。もしかして、全部聞こえていたのだろうか。 「ただのお隣さん」  山野井先生が無表情のままそう答える。 「三濃川照(みのかわ・あかり)です。クリームソーダ一つ下さい」 「はい、少々お待ち下さい」  意を決して入ったお店で、お隣さんに出会うとは。やはり狭い町だな、と改めて思う。山野井先生を『先生』と呼ぶのは、彼が作家であり、私がそのファンだからだ。現在は引退しているが、別のペンネームで小説サイトに作品を投稿している。 「随分暗い顔だな」  山野井先生が言った。 「え?」 「カウンターに座れば? 空いてるし」  そう促されて、席を移動する。鞄を腕にかけ、水とコースターを持ってカウンターまで歩いた。山野井先生は右から二番目。私は反対側の端の椅子を選んだ。 「上司に、あなたは悩みがなさそうでいいね、って言われちゃったんです」  思い切って告白すると、山野井先生はくすりと笑った。 「やっぱりそう見えますか? 良く言われるんですよ、だから慣れてますけど」 「そんな言葉に慣れるな。俺は『悩みがなさそうだね』って言うやつと『もっと他に苦しんでる人がいるでしょ』っていうやつは信用しない」  山野井先生がこちらを向いた。 「悩みがない人間はいない。ないように見せてるやつと、そうじゃないやつがいるだけだ」  てっきり否定されると思っていた台詞を……気持ちを肯定され、私は胸が熱くなった。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加