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クリームソーダ(3)
「常に自分が一番不幸だと思ってるような、人の痛みがわからないやつの言葉に傷つく必要ないぞ。俺は君より長く生きてるから、そのくらいはわかる。おっさんだからな」
「山野井先生……」
マスターが山野井先生の前に紺色のコーヒーカップを置いた。何故かコーヒーの香りが目にしみる。
「……大丈夫か?」
急に山野井先生が立ち上がった。私はなぜ心配されているのかがわからずに、瞬きを繰り返した。
「どうぞ」
マスターが白いハンカチを持っている。どうやらそれは私に向けられているようだ。
「泣くほど辛かったのか」
山野井先生のその一言で、自分が泣いていることに気がついた。鼻がつんとして、頬が濡れている。私はマスターからハンカチを受け取り、涙を拭った。
「すみません、泣いたりして……ありがとうございます」
マスターが厨房へ戻ると、山野井先生も椅子に座り直した。
「泣くとストレスが減るらしい。『涙活』なんて言葉もあるし、カロリーも相当消費するって。映画とかドラマとか見て泣くとすっきりするぞ」
「そうなんですか?」
「なんか泣きのツボとかないのか?」
私は少し考えてから、答えた。
「先生の小説です」
「うげっ」
山野井先生から、本日二度目のうめき声を頂いた。
「特に『夜雨』は何度読んでも必ず泣けます」
「……不本意だが、それを読めばいい。不本意だけどな」
なぜか山野井先生は自分の作品が嫌いらしい。とても複雑な事情が絡んでいるような気がして、私はその理由を追及できていなかった。
「お待たせしました」
ちょうどそこにクリームソーダが運ばれてきた。マスターが先に紙ナプキンとスプーン、フォークを私の前に置く。ソーダの湖にバニラアイスがぽっかりと浮いているそれは、絶妙なバランスがまさに芸術だ。添えられた赤いさくらんぼまでが美しい。
「わかりやすいな、君は」
山野井先生はいつの間にかひじをついてこちらを伺っていた。
「だって、クリームソーダですよ?」
「うまいぞ、ここのクリームソーダは。アイスクリームは手作りだしな」
「そうなんですか?」
「祖父直伝のレシピです」
目を細めながら、マスターが微笑んだ。
「いただきます」
最初にストローを取り出し、アイスを崩さないようメロンソーダの中に差し込む。ストロー越しに氷の冷たさが伝わってくるようだった。一口飲んでみると、メロンソーダの味が濃い。
「濃い!」
「だろ?」
次に、スプーンでアイスをすくってみた。柔らかい感触とともに、バニラアイスが欠ける。どれだけ崩しても、決してクリームソーダという存在は揺るがない。刹那、バニラの香りが漂った。
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