そば(3)

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そば(3)

「わかりました。これからもよろしくお願いします!」 「はいはい。こちらこそよろしくお願いします」  山野井先生が大きな口元を上げてにやりと笑う。なんだかチェシャ猫みたいな表情だ。 「そうだ、ずっとこっちに住んでたなら知ってるかもだけど」 「はい?」 「近所づきあい、気をつけろよ」 「どういう意味ですか?」 「ここは町内の他の場所に比べて、ずっとコミュニティーが強い。町内会の権力も同様だ。若者に対する期待も大きいし、その分裏切られたときの落ち込みも激しい」 「大丈夫です、掃除とかごみ拾いとか得意なんで」 「うんまあ、それは良かった。俺が言いたいのはそれに加えて、なんだけど」 「加えて?」 「まあ、そのときになったら教えるよ。きっと君は大丈夫だと思うけど、何せ俺の作品のファンだなんていう変わった人だからな」 「変わってないですよ。私は先生の作品に出会えた特別な人間なんです」  にぎりこぶしを作りながら力説すると、山野井先生は唇をへし曲げた。 「君は俺の作品のどういうところが好きなんだ?」 「先生の作品には一筋の光があります。どんなに辛い話でも、悲恋でも、最後に必ず希望の光が見えます。登場人物が亡くなったりする作品って、途中から絶望で真っ暗闇になってしまいがちですけど、先生の作品にはそれがない。だから好きです」  語りつくしてから、山野井先生が固まっていることに気がついた。しかもここは玄関の軒先。どこかで誰かが見ているかもしれないのに、これでは本当の変な人になってしまう。 「すみません、先生。帰りますね」  顔が熱くなり、背中には冷や汗が流れる。帰ったらシャワーを浴びよう、などと考えていたとき、 「うちの書斎に全巻揃ってる。今度読みにくるといい」 「え?」 「一冊だけ世の中に出なかったレア文庫もあるし、ネットに発表していない書きかけの話もある。お蔵入り作品も全部プリントアウトしておくから」  山野井先生がジェスチャーを交えながら説明する。おかしいな、どうして私にそんなことを言ってくれるのだろう。今の行動でひかれこそすれ、家に入る権利なんかもらえるはずないのに。 「つまみはチョコレートな。俺は酒が飲めないから、無糖炭酸水でよろしく」 「私は甘い炭酸がいいんですけど」 「ご自由に」  ひらひらと手を振って、山野井先生が玄関のドアに手をかける。 「どうしてですか、山野井先生。私なんかただのファンの一人なのに」 「だって特別な人間なんだろ?」  こうして、山野井先生と私は出会った。
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