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おすそ分け(1)
「私、おすそ分けに戸惑ってるんです。今までは母が全部お返ししてくれてたし、正直どうしていいのかわからなくて」
俺は三濃川君にそう告げられて、少し困ってしまった。以前ここに住んでいた若者が、同じようなことを俺に相談してきたからだ。
「面倒くさくないですか、正直」
その若者は名前を宮口と言った。会社の辞令により、大都会からこのド田舎の支店で働くことになったらしい。この町の支店へ異動することが、どうやら宮口の会社では黄金の出世コースになっているという。
「いらないんすよ、ヤサイとかサカナとか。調理済みの売ってるし」
「皆、宮口くんに食べて欲しいんだよ。ほら、良くできた作品は誰かに見せたくなるだろ?」
宮口は仕事とは別に某大手サイトでゲーム配信を行っており、その動画を自らの「作品」と呼んでいた。副業としては、そこそこの収入源だったらしい。
「ヤサイやサカナが作品? いや、無理無理。それとこれとは違うっすよ。俺のは時間と手間をかけてますもん」
「野菜も魚も手間暇かかってるけどな。何より、気持ちがこもってるだろ?」
「なんすか、気持ちって」
「愛情っていうのかな。ここの人たちは野菜や魚を家族のように扱うんだ。ものではなく、子どものように」
「だったら尚更イヤですよ。重たくないっすか?」
「重たいと感じたことはないけどな」
「山野井さん、早く都会戻ったほうがいいっすよ。感覚バグってますって」
宮口は一週間後に再び引っ越し、周囲に空き家ばかり並んでいる町外れの一軒家へ移った。田舎暮らしが合うか合わないかは、やはり人それぞれなのだろう。もちろん、そのことは近所の噂好きなご婦人たちの格好の的になる。しばらくの間、町内会のたびに俺は事情聴取を受けねばならなかった。
ちなみに宮口とは今も時々飲みに行く間柄だ。
ここへ引っ越してきてから、俺の心は随分穏やかになった。都会の喧騒や淀んだ空、忙しなく歩く人たち。それらは以前、俺が心底望んだものだった。ここにいては何も変わらない、何も生むことはできない、誰にも出会うことはできない。
小さな町にいてはわからない、光のように進む世の中。激しい愛情はその中でこそ育まれると信じてやまなかった。
それがどうだろう。
大きな町へ出てみると、全てが間違いだということに気がついた。空っぽだったのはこの小さな町ではなく、俺のほうだった。変われないのも、生み出すことができないのも、誰とも出会えないのも。
結局何年経っても、大きな町での暮らしは変わることはなかった。それは俺自身が変われなかったからだ。
仕事を辞め、大切なものを失い、そこでやっと俺はそのことに気がついた。体調を崩してからは、この小さな町が恋しくてたまらなくなった。何年かぶりに父に連絡すると、祖母が住んでいた空き家が残っているとのこと。迷う暇などなく、ここへ移り住むことを決めた。
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