ある鉄道駅の元日

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今どき珍しい二つ折りの携帯電話を線路に落とした男性は僕がそれを拾って渡すなり、さっきまでの怒り顔が嘘のように満面の笑顔を見せた。起動させて画面にひびも入っていないことを確認すると僕の肩をすごい勢いで何度も叩いて礼を言ってきた。低い気温のせいで白く可視化された息はものすごい酒の匂いだった。 「にいちゃん、新年おめでとうな!」 「あぁ、あけましておめでとうございます。」 もう一度、ひびが入っていない画面を僕に見せつけ、大笑いしながら改札に向かっていくおじさんの待ち受け画面はおそらく親戚か孫だろうと思われる笑顔の赤ちゃんだった。結局自分には何も良いことは起こっていないが、あのおじさんは憎めない人だったなと自分の中で結論付けた。 とにかく坂口君にさっきの話の続きが聞きたかったので、足早に戻ろうとすると、どうやら大声をあげている小さい娘さんとその両親の三人家族がいた。次の列車の到着時刻が近づいていたこともあって、線路から離れるように注意しようとすると、自分の声よりも先に父親が大声を挙げて、何か袋のようなものを勢いよく線路に投げ入れた。ひらひらとふたつの袋が宙を舞って線路に落ちた。 父親はすごい剣幕で、ちょうど停車中だった反対方面行の列車に乗って、ずかずかと遠ざかるように列車の中を早足で移動していく。とりあえず事情を聞こうと母親と女の子のところに向かおうとすると同じタイミングで女の子がこちらに気づいて走ってきたので、映画でよく見る感動の再会シーンのようになった。 「駅員さん、大変なんです!袋が落ちてるんです!大事なんです!」 おそらくまだ5歳くらいの女の子はとにかく焦っていて同じ意味の言葉を何度も連呼して事の重大さを知らせようとしたが要領を得なかった。 「落ち着いて。深呼吸して。袋の中身は何か、教えてくれるかな?」 「ふぅ。・・・お年玉が入ってるんです。」 なるほど、子どもにとってはこれ以上大事な袋はないかもしれない。まあでも、幸い中身は紙だから、到着間際の列車が行ってから拾えば問題ないだろう。そう伝えようとした矢先、女の子が線路に飛び込んだ。 「ママ、私が拾うから、大丈夫だよ!」 女の子の母親は口論の後、ずっと泣き崩れていたが、その声に反応して目を見開いて、叫び声をあげた。 もう電車はカーブを曲がり切ってその顔がこちらにくっきりと視認できるくらいの距離にあった。女の子は一つ目の袋を拾って二つ目をキョロキョロと探している。 「あった!」 女の子は二つ目のお年玉の袋を拾い上げ、嬉々として顔を上げる。その瞬間に顔を上げて電車に気づき、案の定、硬直した。僕は既に線路に向けて動き出していた。ホームからジャンプして、それでも勢いがつきすぎて自分が転んでしまわないように絶妙なバランス感覚を頭に思い浮かべて体を動かし、なんとか上手く着地することが出来た。女の子に移動するように促すのだが、目の前の事態に体がこわばってしまっていて、物凄く重い。 (これは、持ち上げるしかない・・・) 僕は自分の右肩に持ち上げるようにして女の子を担ぎ上げた。だが、その先をどうしていいかが分からない。 「にいちゃん!こっちだ!こっち!」 さっきの酒臭いおじさんだった。なんでか分からないが騒ぎをかぎつけて、戻ってきていたらしい。僕は砲丸投げの要領で体を反時計回りに回転させ、女の子をホームにいるおじさんに向けて放り投げた。おじさんはガタイのいい体で待ってましたとばかりに自信ありげな表情で受け止めたが、想像していたよりも大分強めの衝撃だったようで女の子が上になるかたちで背中からホームに倒れこんだ。 僕は目前に迫る電車から逃げるように走り女の子を放り投げたのと反対側の退避スペースに体当たりするように飛び込んだ。 電車が通り過ぎた後に自分がいるのと反対のホームを見ると、騒ぎを聞きつけた女の子の父親の姿があった。結局、反対方向の電車には乗っていかなかったらしい。父親は女の子を抱きしめて涙を流し、母親にもひたすらに謝罪し続けていた。 ホームに倒れこんだおじさんは何ともなかったみたいで、退避スペースで縮こまっている僕を笑顔で見て親指を突き立てるポーズをした。女の子もこちらを振り返って手を振っていた。まだべそをかいた痕跡が残っているような顔で懸命に笑顔を作っていた。 「おにいちゃん、ありがとう、もう大丈夫!」女の子が言った。 「もう本当に大丈夫ですから!」と父親が言った。父親の言葉には少し違和感があったが、緊張状態で発された言葉をそんなに深く考えなくてもよいだろうと笑顔で返した。 退避スペースから無事に出てホームに上がり、反対のホームを見やると、もう家族の姿はなかった。おじさんの姿ももう見当たらなかった。
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