栞の会

1/2
前へ
/40ページ
次へ

栞の会

秋の朝、暖房も冷房もいらない季節。詩人のはずが探偵の仕事ばかりの鏑坂、布団でぬくぬく寝ていた。 「う……ん」 「にゃーん」 「大将……どうしてここにいるんだ」 アパートの大家の猫の大将。彼の部屋を我が物顔で過ごしている。今朝も大好きな彼の布団に潜ってきていた。 「道理で暖かいと思った。そうか。お前、寒かったのか」 「にゃーん」 そしてごろごろと彼に甘えてきた。鏑坂、三毛猫を抱き、ゆっくりと起きた。 詩人の彼の仕事、それは雑誌の社員や絵に詩を添えること。先日は山の写真に添えた私の作品が好評だったと、編集者からお褒めの言葉を頂いていた。 親の遺産で資産家である彼。これなるべく使用せず、詩で食べていこうとしていたが、現実は厳しい。そこで思わず手伝った探偵業は結果として今の彼の仕事になりつつあった。 朝は昨夜炊いた飯を温め、自分の分の味噌汁を作った。納豆、そしてお新香で今朝も朝食を終えた。 この日、彼はいつものように着流しを着た。洋装が増えてきた大正時代の街。そんな東京の街へと和風で繰り出した。 モダンガールがオシャレなコートを着ている秋の道。彼はコウモリコートを着て約束の本屋ににやってきた。 「こんにちは」 「ああ?もう二人は来ているよ」 「ありがとうございます」 店主に声をかけた彼、慣れた様子で二階へ上がった。そこは広い和室になっていた。 「お?きたか」 「久しぶりだな」 二人の笑顔を見た鏑坂。彼らが座る奥の座敷へ進んだ。 「そうだな。先月は台風で中止になったからな」 そんな三人の前には大量の本が積んであった。鏑坂、ひとまず深呼吸をした。 「ふう、それにしてもすごい数だな」 「俺たちもびっくりしていたところだよ」 三人はそう言って冊子を手にとっていった。しかし、まずは発起人の八神が咳払いをした。 「では、定例会の『栞の会』を始めます。まず、今日の予定です」 この『栞の会』。詩人の集まりである。本日の会合、八神の説明では、ここにある、全国から送られてくる冊子を全て読み、感想を書くという内容だった。 これはいつもの活動。しかし今回は量の多さに一同は驚いていた。 「先月分があるから多いのはわかるけど、どうしてこんなに?」 「それだけ我々の活動が認知されているのさ」 仲間の声、鏑坂はまだ驚いていた。 「しかし、こんなにか?」 今日の参加者は八神、伊藤そして鏑坂。後から吉岡がやってきた。彼らの『栞の会』は詩の勉強をする個人的な集まりだった。そんな彼らは、詩の作品を独自に分析評価し、それを元に学ぶという勉強スタイルだった。 これを聞きつけた詩人達は、自分の詩集や冊子を彼ら『栞の会』に送ってくるようになった。栞の会はこの作品を評価し、詩人に返事をするという活動を行なってきた。これの輪が広まり、たくさんの冊子が栞の会に集まって来ていた。 今は送られてきた作品を各自手に取り、割り振っていた。 「この詩集が誰が担当する?」 「母親を亡くしたって奴だろう?ちらと読んだが、俺はよす。全部そればかりだし」 「こっちの冊子は?見たところ学生のようだが」 「読むに耐えん!内容が稚拙すぎる」 「……では、僕が持ち帰ろう」 仲間達はそれぞれ好きな作風がある。政治を風刺したもの。恋愛もの。鏑坂は自然、特に花が出てくる作風を好んでいたが、この日も仲間が嫌がる詩集や冊子を引き受けることにした。 担当を振り分けた彼ら。今度は近況報告となった。八神は仲間の詩を集めて本を作りたいと熱弁を振るっていたが、資金はどうするということになった。 基本、詩の世界は自費出版である。彼らにはその費用がなかった。 「どう思う?鏑坂」 「まず、二通りあると思う」 彼は真顔で仲間を見た。 「一つ、これはスポンサーを探すことだ」 「詩集に広告をつけるんだろう?それだといいが」 「俺たちの詩集に誰が金を出してくれるんだよ?」 自嘲気味の仲間。鏑坂、まあまあと制した。 「まだ案だ。他には予約注文制かな」 「予約注文?」 「なんだそれは」 鏑坂は例として冊子を取り出した。 「例えば。我々の詩集を利益無しで三十円としよう。これを、詩の仲間に買ってもらうんだ。その際、前金で例えば二冊分、という感じで集めてしまうやり方だ」 「いいなそれは」 「うん」 「……待てよみんな。それで本当に良いと思っているのか」 真面目な吉岡。急に怒り出した。 「俺たちの詩集はな。売りもんじゃない。本当に読んでみたい、欲しいという人に無償で読んでもらうのが本当の詩集じゃないのか」 現在の詩集のあり方。販売しても売れない。このため、価格設定はあるが詩人や知人に送り、その人に心があるなら定価を支払ってくれるもの。相手の良心に訴えるやり方であった。 これに。八神が反論した。 「その今までのやり方だと、多くの詩人は本を出版できない。これに関して栞の会は長年、話し合いをして来たじゃないか」 「しかし」 これに。伊藤も加わった。 「それにだ。この送ってくるやり方だっていささか乱暴だ。こちらが頼んでいないのにこうやって送ってくる。我々は誠意を持って料金を支払っているが、時には腑に落ちないよ」 「うう」 悔しそうな吉岡。ここで八神が続けた。 「それに。これは強制ではない。買いたい人の希望をちゃんと聞くんだ。そして、その価格に似合った素晴らしい詩集を作れば良いのだ。この鏑坂のやり方が上手くいけば、他の詩人だって助かるかもしれない」 しかし、吉岡は鋭い目で八神を睨んだ。 「それは無理だ。だって。まだ製本できていない詩集を読みたいかどうかなんて。どうやって尋ねる気だ?」 「見本とか」 「ならぬならぬ!それに。商品もないのに先に金だけを払う人がいるものか」 自分たちの詩集、芸術作品を商売道具にしていると、吉岡が怒った様子。鏑坂、温和に話し出した。 「確かに。吉岡の指摘も一理ある。では、スポンサーを募るのはどうなんだ」 「それも反対だ。そんな企業がついては自由な詩が書けない。それはもはや詩ではなくなってしまう!」 本気で怒る吉岡。一同は顔を見合わせ、この日は話は終わらせた。そして解散となった。 帰り道。鏑坂は八神に呼び止められた。 「ん?どうした」 「実は。吉岡抜きであの喫茶店で話をしないか?」 見ると。伊藤もいた。こうして吉岡抜きで喫茶店で話をした。先ほどは吉岡がいたせいでできなかった砕けた話など。鏑坂も笑みをこぼしていた。 「ところで、詩集の件はどうする?俺は本気で出したいんだよな」 真剣な八神。伊藤も賛同していた。鏑坂、コーヒーをスッと飲んだ。 「俺も可能ならば参加したいが、しかし吉岡がああじゃ、本など出せないだろう」 「……ああ。だからな。あいつを抜けばいいんだよ」 「抜くって。仲間外れにするのか」 「し!」 八神、人差し指を立てた。そもそも。吉岡は後から入ったメンバー。最初は謙虚に詩を学びたいと押しかけで入ってきたが、仲間の助言も聞き入れず、どこか傲慢な態度。リーダーの八神は静かに話した。 「とにかく。俺に任せてくれ。今はみんな、スポンサーを探すことにしよう。吉岡のことはひとまず俺に任せてくれ」 鏑坂は一抹の不安があったが、本日、受け取った詩集を早く読みたかった。 スポンサーは伊藤が探すというので彼は自宅アパートに帰った。 その一週間後、家で詩集を読んでいた鏑坂の元に伊藤が慌ててやってきた。 「鏑坂、八神はいないか?」 「八神?ここには来てないが」 栞の会の後、全く会っていなかった。伊藤、疲れたように畳に座った。 「おかしいな……会社を無断で休んでいるだよ」 家族に頼まれて探しているという伊藤。困ったように頭をかいた。鏑坂はお茶でも入れようとお湯を沸かし出した。 「あいつらしくないな……家族には何と?」 「『栞の会』の後は、これから新しいことをするんだ!と張り切っていたそうだ。だが、水曜日に仕事に行って、それから帰ってないんだ」 山神らしくない。鏑坂は気になった。 「今日は金曜日だ……警察には?」 「警察?そんな大事かよ」 「交際している女性がいるとか」 「俺もそう思ったけど。家族も知らないと」 「……『新しいことをする』か………」 鏑坂は警察への捜査を進めたが、伊藤は女の家にもいるのだろうと心当たりを探すと帰っていった。 その翌日。八神が入水自殺したと新聞に記載された。
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1046人が本棚に入れています
本棚に追加