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八神の自宅。鏑坂、急いで向かった。そこには本人の亡骸、嘆く家族がいた。
「あ?鏑坂」
「伊藤。これはどういうことだ」
「……俺も訳がわからない」
悲しいよりも悔しい。伊藤はそんな顔だった。ここで泣き腫らした母親が伊藤に詰め寄った。
「どうして?息子がこんなことに?あなたたちは一体、息子に何を言ったんですか!」
「お母さん」
「……言葉もありません」
この悲しみをぶつけるように。母親は伊藤と鏑坂に詰め寄った。これを親戚たちが慰め、奥の部屋へ母親を連れていった。
そして。父親と二人は挨拶した。
「警察の話では。犬の散歩の人が発見したそうだ。警察はあの子の日記を見て、自殺と判断したようです」
「しかし。我々の前では自殺するようには見えませんでしたが?」
「失礼ですが。警察に遺体を調べてもらったんですか」
「そう、だと思う。あ?すまない、向こうで挨拶をしなければ」
八神の父親は有力者。身内の自殺を恥と思っている様子。どこか苛立ちを称えているのが印象的だった。涙の伊藤。鏑坂はまっすぐ前を見ていた。
「伊藤、本当に自殺を思うか?」
「思えないよ……あんなに詩集を出したいって言っていた矢先なのに」
ここで。鏑坂は知り合いの顔を見つけた。
「浜田警部」
「また君か」
しかし。今回は自殺だと警部は断定した。
「理由は」
「この日記だ。見たまえ」
「失礼します」
そこには、確かに彼がYという人物と頻繁に会っていた話が記してあった。
『Yと会う。楽しみである』『Y、怒って帰る』『Yは素晴らしいが俺の今後には邪魔だ』
警部は嬉しそうに指摘した。
「Yとは人妻だ!しかし彼は別れ話で悩んでいたのがわかる」
「確かに。出会いの時は『ときめいた』、とありますね……」
「だろう?そして、最後を見ろ」
『十三日。Yと話し合いをする。これ以上、一緒にやっていけない』と記してあった。
「警部……このYとは誰か、判明したのですが」
「彼の職場に吉田という事務員がおる。おそらくそれだろう」
「山神の死因は?お調べになったんでしょう」
「もちろん!外傷もなく胃の中は川の水だったよ」
事件性はない。こうして八神が荼毘に伏せられた。自殺は恥とみなされた彼、葬儀は家族のみの密葬。この悲劇、伊藤はショックで寝込んでしまった。そんな時。鏑坂の家に手紙が来た。
「先生!ポストに入っていましたよ」
「ありがとう清志君……吉岡?『栞の会の開催について』……」
その手紙には。亡き八神に代わり自分が栞の会を運営する決意が記されていた。
「なぜ吉岡が」
「……先生。どうしたんですか」
「にゃーん」
心配する清志。それにいつの間にか足元にいた猫の大将。鏑坂の青い顔を覗き込んだ。
「先生?」
「ああ。ちょっとな。思いついただけさ」
彼はそっと清志の頭を撫でた。その顔は笑みを浮かべていたが、心は青く燃えていた。
そして。栞の会の定例会が開催された。黒い服でまだ悲しみの伊藤。吉岡は晴れ晴れした顔で先に来て席に座っていた。鏑坂、静かに入室した。
「これはどうも」
「鏑坂くん。ご苦労だったね。そこに座りたまえ」
すっかり仕切っている吉岡。伊藤は涙顔で訴えた。
「お前!何でそこに座っているんだ!そこは吉岡の席だぞ」
「それはこれから説明する。実はな」
吉岡。自分は生前の八神に栞の会を運営してほしいと頼まれていたと話した。
伊藤は信じられないと首を横に振った。
「嘘だ!お前は嘘を言っている」
「嘘ではない。本当だよ?これからは俺の感性で、進めてほしいと俺に頼みに来たんだ」
吉岡の嬉しそうな声。鏑坂、すまして聞いていた。
「へえ。いつ会ったんだ?」
「亡くなる前日かな?駅前の喫茶店の『クローバー』で。あの店員に聞けばわかるよ」
「そう、か『クローバー』だな」
なぜかこの日。二階の部屋の扉を少しだけ開いていた鏑坂。大きめの声で話し出した。
「……では、そろそろ栞の会を始めようじゃないか」
この鏑坂の切り替え。伊藤、嘆いた。
「鏑坂まで、お前。八神を惜しむ気はないのか」
しかし吉岡は喜んだ。
「いや?その意気だ。さて、詩集を選ぶとしようじゃないか」
すっかりリーダーになり嬉しい吉岡。彼は八神が座っていた上座に座っていた。窓を背に向けて二階の入り口を見る格好。その彼、はたと止まった。
「ん?どうした吉岡」
鏑坂の声。吉岡、戸惑った。
「あ、あ……そこに、八神が」
ドアの隙間。そこから男が彼を睨んでいた。
「八神が?いるわけがなかろう」
鏑坂の声、しかし吉岡は青ざめた。ドアの隙間からこちらを睨んでいる男は全身ずぶ濡れ。死んだはずの八神。鬼の形相で吉岡を睨んでいた。これには伊藤も腰が抜けた。
「や、八神。お前」
「お、お前は死んだはずだ!死んだんだ!川に落ちて!」
ドアの隙間の八神。何も言わない。ただスッと腕を伸ばした。その服は水で濡れ、その髪も濡れてた。身体から滴り落ちる水、その腕で吉岡を指差した。
その男と目が合った吉岡。震えた。
「俺じゃない!お前が悪いんだ!俺を除け者にしようとしたから」
すると。扉の隙間から見ていた八神。今度はドアをばっと開け、急に部屋に走り込んできた。
「ぎゃあああ」
これに吉岡、腰が抜けたまま後ろに逃げた。伊藤は絶句。見守る鏑坂。吉岡に迫る八神。彼の服の襟を掴んだ。これに吉岡、失禁した。
「やめろ!俺が悪かった!」
懇願する吉岡。八神、顔を近づけた。
「俺を見ろ!お前が殺した男だ!よく見ろ!」
「う?うう……」
あまりの恐怖。吉岡、気を失った。この後、警察がやってきた。吉岡を殺人で連行していった。
「はあ、怖かった。って、君は本当に八神か」
「驚かせてすまない伊藤、彼は八神の弟だよ」
「どうもです」
亡くなった八神の弟。本人にそっくりだった。挨拶の時に見かけた鏑坂、事情を話して協力してもらったといった。
「すまない。まだ心の傷も癒えていないのに」
頭を下げる鏑坂。八神の弟、いいえと手で謙遜した。
「そんなことありません。兄は自殺扱いでしたので、これで無念を晴らせました」
「そう、ですか」
「……鏑坂さんだから言うのですが。妹の縁談が決まっていたんですよ」
しかし。八神の自殺により破談の危機にあったと話した。
「そんな家の娘はごめんだと言われまして。妹は兄も亡くし、さらに縁談も破談になりそうで気の毒でした」
「そうでしたか」
「ええ。死んだ兄には申し訳ないですが、私には生きている妹の将来の方が心配なんです」
八神弟の横顔、頼もしい言葉。彼らはよく似ていた。鏑坂、一瞬、亡くなった本人に見えた。
「……それで良いと思います」
「え」
「お兄さんも。きっとそう言うでしょう」
「鏑坂さん……」
こうして。警察の取り調べにより吉岡の犯行となった。
「先生。どうしてその人が犯人だと思ったんですか」
後日の鏑坂のアパート。サボりに来た少年に彼は話した。
「……八神はもしかして吉岡を僕達の会から脱退させようとしたんじゃないかと思ったんだが、私も犯人の確証はなかったよ」
そういうと、彼はサボテンに水をやった。
「わからなかったから弟くんに芝居をしてもらったんだ」
「しかし。怖かったろうな。死んだ人がこっちを見ていたら」
「ああ。ちょっとやりすぎたようだ」
留置場の吉岡。悪夢にうなされていると警察から聞いていた鏑坂、ちらと時計を見た。
「大変だ。行かねば」
「詩の会ですか?」
「ああ……八神を偲んで新しく会員が増えたんだ、そうだ」
鏑坂、清志を見つめた。
「僕の行く本屋の近くに美味しいパン屋さんがあるんだ。買ってくるつもりだから、明日の朝、ここにおいで」
「やった!」
嬉しそうな少年。鏑坂、支度をして一緒に外に出た。
イチョウは黄色、紅葉は紅かった。
「あ。どんぐりだ!先生、どんぐりが落ち葉の下でかくれんぼしているよ」
「かくれんぼ、か……詩心があるな」
「木枯らしもこんなに吹いて……秋は僕らのことを落ち葉だと思っているのかもしれませんね」
「これはこれは。詩人がここにもいたとは」
笑顔の二人、駅までの道を歩いた。青空だった。
完
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