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1いなくなった猫
「鏑坂さん。ああ。やっと会えた」
「すいません大家さん」
大正時代、東京。古いアパート。家賃を滞納していた探偵、鏑坂。老齢の大家に玄関前でうっかり出会ってしまった。
「あんたさ」
「恐れ入ります。あの家賃ですけどね。その、大変言いにくいのですが」
支払いが遅れている鏑坂。大家の主人はため息をついた。
「わかっているよ。まだなんだろう」
「本当に申し訳ありません!実は事件を解決したので、来週には必ず」
平謝りの彼。大家、腕を組んで見下ろした。
「だったらな。俺の困り事を解決してくれねえか」
「困り事ですか」
「ああ」
家主。ふっと肩を下ろした。
「最近。うちの猫が居ねえんだよ」
「猫。確か。大将ですよね」
この周囲に土地を持っている大家の親父。愛猫の大将を探してくれと鏑坂に話した。
「ああ、自慢の三毛猫だよ。女房が心配して夜も眠れねえんだ」
「あの奥さんが?」
でっぷり太った奥方。それを思い出した鏑坂、大家はなんだ?と首を傾げた。
彼はそれを微笑みで返した。
「そうですか。あの奥さんが眠れないんじゃ大事だ」
「どういう意味だい?」
「はは!いいえ、直ちに探しに行きます」
こうして鏑坂。秋の風の中、猫を探す依頼を受けて近所を歩き出した。
……どうせ、どこかの家で餌をもらって飼われているに違いない。
やがて。前から子供達が歩いてきた。鏑坂、子供たちに猫のことを聞いた。
「三毛猫は知らないな。でもね、猫屋敷は知っているよ」
「猫屋敷」
「うん!家の人が近所の猫に餌をやっているの」
「場所はどこだい?」
すると少年と少女、顔を見合わせた。
「何をくれるの?おじさん」
「おじさんって、僕がかい?」
まだ若い彼。ショックだった。しかし少女もうんと見つめてじっと彼を見つめた。
……やれやれ。仕方ない、しかし、金もないしな。
ここで鏑坂。着物袂に腕を入れた。
「良いか。私はおじさんじゃない。それにだ。私は占いでお前たちの未来を見てやれるぞ」
「嘘だ」
「じゃ。言ってみて」
幼い二人。鏑坂、推理した。
「まず。お前達は兄と妹だな」
「そうだけど」
「そんなの簡単よ!」
「まあ、落ち着け」
彼はまた二人をよく観察した。兄と妹と言ったのはまず顔が似ていたから。それ以外を推理していた。
「兄者の方。お前はずいぶん家の手伝いをしている……力仕事だ、それに。今は、何かの帰り……届け物か?身軽であるし」
「へえ?すごいね」
「ねえ、私は!私は?」
「妹か」
彼はじっと二人を見た。
「お主達。親の言いつけで届け物をした。そしてその家で、みたらし団子をもらって食べたな?」
「うわ?すげえ」
「本当だわ」
「ふふふ。どうだ!私の推理は」
二人の顔には何もついてない。しかし、着物の袖にみたらしの醤油がついていた。兄と妹はすっかり彼に感心していた。
「へえ、嘘じゃないんだな」
「ねえ。だったら、私達はこれからどうなるの」
「それは猫の屋敷を教えてくれないとな」
ここで少年は屋敷の場所を説明してくれた。
「お兄さん、約束は守ったわ?私たちはどうなるの?」
「道草を食ったと家族に叱られるぞ」
冗談めかして話す彼。幼い二人は笑った。
……仲の良い兄と妹だ。
見送った鏑坂。説明された猫屋敷へやってきた。
「廃墟か……あ?すいません。この廃屋の件ですか」
通りかかった老男。尋ねた鏑坂。彼は首を横に振った。
「廃屋じゃねえよ。ここには狂った老婆が住んでいるんだ」
「ここに?」
あまりの崩れた家。彼は思わず後退りした。
◇◇◇
「自分は探偵で。三毛猫を探しているんです」
「猫なんて。ここには嫌って言うほどいるよ」
確かにちらほら見える猫。そして異臭。鏑坂、着物の袂で口を覆った。
老人は隣に住むとこぼした。
「以前はこうじゃなかった。でも、旦那が死んでから奥さんが狂ってしまってな。こうして荒れ果ててしまった」
「失礼ですが。ここに奥さんが住んでいるんですか」
「ああ。親戚もおらんでな。近所の者は火事になったらと、ヒヤヒヤだよ」
「……木造で……屋根も落ちてますものね」
老人の話。老婆は狂っており、誰かが説得しようとすると水を掛けたり暴言を吐いたりすると言う。
「自分は三毛猫を探しているんです」
「まあ、本人に聞いてみるんだな。せいぜい、気をつけな」
去っていった老人。鏑坂。ポツンと秋の風の中。それでも果敢に崩れ家へ声を掛けた。
「すいません!恐れ入ります!」
「……誰じゃ!帰れ」
「あの、猫をうわ?」
鏑坂。水を掛けられた。
「帰れ!帰れ!」
「違うんです。自分は、探偵で、猫を」
「帰れ!来るな!来るな」
……ダメだな、これは。
年寄りのしわがれ声の返事。ゴミやら崩れた壁で姿は見えない状況。話にならない。彼は一旦諦めた。それに猫は屋外にいる。この崩れ家に入らずとも三毛猫なら餌で釣れば発見できそうだった。
そこで。翌日。鏑坂は川で魚を釣り、それを餌に猫屋敷に戻ってきた。
「おお。いるいる。猫ちゃん。おいでおいで」
餌を置くと猫が寄ってきた。白、黒、灰色、斑、茶……しかし、三毛猫がなかなかいなかった。
「お前達?三毛猫は知らないかい?」
猫たちはにゃあにゃあ言うだけである。鏑坂、緑の上に腰掛けた。
そこに昨日の老人が通りかかった。
「どうだい?いたかい」
「肝心の三毛猫がいないです」
「ははは。して?家主はどうした」
「帰れ帰れ、と怒鳴られましたよ」
「へえ。元気なんだな」
老人。不思議そうに話した。
「あの婆さん。数えで九十歳近いんだぞ」
「そんなに高齢なんですか」
「ああ。だが、最近、誰も姿を見てねえんだよ」
怒鳴り声はするが、本人は見てないという。鏑坂、餌を食べる猫を見ながら不思議に思った。
「では、食料とかどうしているんでしょうか」
「ほれ。あの八百屋が頼まれて。定期的に野菜や米を届けておるんだ」
「……では、誰もおばあさんと会ってないんですね」
「ああ。会おうとすれば、水をかけられちまうしな」
「九十歳で。お一人ですごいです……あ?それよりも私が欲しいのは三毛猫なので」
「そうだったな?お、また猫が出てきたぞ」
屋敷から出てきた猫。これを見て、老人は鏑坂の腕を掴んだ。
「どうされました?」
「み、みろ、あれ」
「ん……うわああ」
猫が咥えていた物。それは骨だった。
つづく
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