529人が本棚に入れています
本棚に追加
付き合いたてカップルのイチャイチャが始まった。(弓月)
週末土曜、午後16時。
扉を開けると ちりりん、と呼び鈴が鳴る。
こういうところも味があって良い。
「いらっしゃい。」
低音の良い声で迎えてくれた忠相さんは、俺の姿を確認すると少し表情が緩んだ。
可愛い。
これはかなり嬉しいっていう表情だ。
人より表情は乏しいけれど、わかりにくいって事もない。
俺を見る時の眩しそうな、はにかんだように細まる目が好きだ。
店内を見渡すと、客は2人。常連の老婦人と友人らしき老婦人。
弓月の何時もの席は空いている。
直ぐにそこに向かって座ると、忠相さんが水とおしぼりを持って来た。
「今日は甘いのにする?
ラテアートでもしたげよっか?」
「えっ、忠相さんできるの?」
「そりゃできるし、出してるよ。斗和くんが今迄頼んでくれなかっただけ。」
「そうだったんだ…。」
カッコつけてないで色々頼めば良かったな、と俺は反省した。
女性客だっているんだし、そりゃ様々試みたりしてるんだろう。
「まあ、特別他より上手って訳じゃないけどね。」
忠相さんは謙遜するけど、俺は知っている。
この人、かなり器用だ。
「じゃあ少し待っててね。」
忠相さんがカウンターに入っていくのを目で追う。
中でちょこちょこコーヒーマシンを弄っている様子。
ミルクが入ってるらしき小さいピッチャーに何か挿してるな…。
残念ながら手元はあまり見えないけど、暫く見てるとコーヒーカップを片手に、もう片方の手で持ったミルクピッチャーを小刻みに揺らしながら注いでいるのが見えた。
ふーん…?
そのまま見ていると忠相さんがトレイに載せたそれを持って来て俺の前に置いた。
「わ…綺麗なリーフ…。」
「今日は何時もより上手くいったかも。」
葉が多いし均等。
俺はあんまりこういうの詳しくないけど、これって結構すごいんじゃないのか。
「美味しい…。」
「良かった。ゆっくりしててね。」
忠相さんはカウンターに戻って洗い物を始めた。
作業しながらでも店内の様子には目を配ってる。
そしてやっぱりじいちゃんは今日もコックリコックリ居眠りしている。置物かな。
たまに起きると競馬の話を聞かせてくれるんだけど、肝心の競馬には行かないらしい。
よくわからないので取り敢えずウンウン聞いていれば機嫌が良くなるんだけど、果たして俺の事は認識してるのかが気になる。
…ボケてる訳じゃ、ないよな?
痴呆が入ってたら忠相さん、1人で出かけらんないだろうし。
おしゃべりしてた老婦人2人連れが席を立ち、会計して店を出ていくのをぼんやり眺めて、ほぼ無くなってきたラテのカップに目を戻すと リーフがそのまま残ってたからちょっと面白い。
「斗和くん、今夜さ、」
何時の間にか忠相さんが席の横に来てた。
「え、何ですか?」
思わずにやけちゃう。
「今夜さ、その…暇?」
「へ?」
「いや、予定あるなら全然いいんだ、忘れて。」
「無いです。0です。マイナスです。」
「ま、マイナス?」
戸惑わせてしまった。
というか、例え何かあったとしても忠相さんより優先する理由が無いのでそれは無いも同然になる。
過去、人を人とも思わないような好き放題をしてたのに、忠相さんと出会ってからの俺は自分が自分じゃないみたいに思える程浮かれてる。
俺って実は相当の恋愛脳だったんだな。
正直、恋人とか番とか、1人の相手に縛られたり縛ったりっていう他人の恋愛沙汰を横目で見て、小馬鹿にしてるとこがあった。
くだらねえ、って。
たかが人間1人に、そんなに固執する意味がわからなかったし、早くから番になる連中に、早まり過ぎだろ~とせせら笑った事もあった。
でも今ならわかる。
誰にも奪られたくない人ってのが、人生には現れるもんなんだな。
それが人によって、早いか遅いかの時期が違うだけで。
他の客が居なくなったからと俺の向かいの席に座った忠相さんを見て、だらしなく微笑むと、忠相さんも首を傾げて微かに笑った。
うぅ…かんわいぃ…。
「今夜って、何があるんですか?」
先刻の続きを促すと、忠相さんは あっ!と思い出したように言った。
「今日、ウチ晩飯、鍋にしようと思ってて。
遅くなっても大丈夫なら、来ない?」
「…忠相さんちで、お鍋を?!」
「親戚から蟹の戴き物してね。好き?蟹。」
「好きです!!」
蟹も忠相さんも!!
「良かった。祖父ちゃんと2人じゃ、多くてさ。」
忠相さんは壁の時計を見た後、俺以外の客のいない店内を見回して、
「今日はもう店じまいにしよっかな。」
と呟いた。
17時30分か。
土曜日の閉店時間は1時間早い18時だけど、今日はもう少し早く閉めるって事か。
まあ、今から来店されても直ぐ閉店なら誰も入らないよな。
「少し野菜買い足したいから一緒にスーパー着いてきてくれる?」
表のシャッターを下ろした後、黒のカフェエプロンを外しながら忠相さんが言うので、少し残った洗い物を手伝いながら俺は頷いた。
喜んでー!!
「…祖父ちゃん、眠いなら奥で寝てなよ。こっち、もう照明落とすから。
飯出来たら起こすよ。」
と言ってお祖父さんを起こす忠相さん。
お祖父さんは立ち上がってんーっ、と伸びをして、ヨタヨタ奥へ上がっていった。やれやれ。
あらかた片付けて、忠相さんについて奥の居住スペースに向かう。
畳の間に上がると結構綺麗にされてて、男2人住まいってイメージからは程遠い、キレイに整理整頓されたキッチンとリビング。
店内と同じように、掃除が行き届いてて、何だか仄かに良い香りがする。
柔軟剤?お香?何だろ…。
「ちょっと待ってて。」
と言って階段を上がって行った忠相さん。
階下で暫く待ってると、財布とエコバッグを持って、黒のダウンジャケットを着ながら2階から降りてきた。
か、カッコいい~、そんでやっぱ足長い。
「お待たせ、行こっか。」
言い方がいちいち優しくて可愛い。
興奮に口を押さえながら、はい。と返事をして不思議そうな顔をされた。
ごめん挙動不審で。
居住スペースの玄関は、店の出入口の少し横にある。
そこから2人で出ると、冬の空は既に陽が落ちて暗い。そして寒い。
「寒いですね。」
鍵を掛けてる忠相さんにそう言うと、彼はキーケースをダウンのポケットに入れて、左手を伸ばして来た。
「寒いから手、繋いでよ。」
「喜んで!!!」
照れたような不器用な微笑みが可愛い。
こんな可愛い人、見つけられて俺、マジでラッキーだ。
最初のコメントを投稿しよう!