潜る男

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——ある都市伝説がある。 ヤクザの世界では日本最大の湖B湖のアル場所に死体を沈めると、絶対に浮かび上がらないという話があった。 まず深さだ。 アノ場所と言われる場所は、日本最大級のB湖で一番深い場所だと いう。 そして、湖であるがだだっ広い為に、海流のような物がある事。 さらに底に溜まった深い汚泥に、潜って行ってしまうからだという——。 警察内でも一部では知られた位の都市伝説なのだが、あくまでよもやま話としてだけ伝わっているという事だ。 そして、そういうよもやま話は絶対にどっかから漏れる。 大体というか、今の時代は100%そういう物はネットの匿名掲示板辺りから始まる。 誰が書き込んだのか知らないが、誰かが書き込んでいる。 静雄もそんな中の1人だ。 静雄はヤクザだった。小さな組だが、その組に命を賭けていた。 まだ若いながらも、若頭の役職を与えられた組の将来を担う男だった。 中卒でヤクザの世界に入ってから、新しい組に移ると直ぐに裏DVDで大金を稼ぎ、大親分にも可愛がられて順風満帆の日々であった。 だが、ある日突然所属する組の組長が消えてしまった。 組の金も消えた。 静雄の居たS組は、広域暴力団W会の傘下にあった。 ちょうど上納金を納める間近というのもあって、金庫には少なくとも3000万程度の金はあったという。 3000万は小さな金では無い。 直ぐに組織あげて、組長探しが行われたが、結局ヤクザ組織だけでは見つける事が出来ずに、恥を忍んで警察に届出を出した。 だが、警察にも組長の足取りが分からなかった。 事務所を出て自宅に帰る間に、組長は車ごと消えてしまった。 警察が防犯カメラを調べたが、途中までは追跡ができたが途中から、まるで消えてしまったかのようにどの防犯カメラにも映って居なかった。 金庫の金が無いのは、組長が消えた次の日に、組長が行方不明でも上納金を納めなくてはならないので金庫を開けた時に分かった。 どこの時点で、金が消えたのかは分からなかった。 勿論、組事務所にも防犯カメラがあったが、何度記録さえた動画を見直しても、誰かが金を持ち出しているような映像は映っていなかった。 結局、組は解散し、残って組員は他の組預かりになった。 だが、静雄だけは組長探しを諦められずに、その胸を、自分の所に来い! と言ってくれた組長の兄貴分のE組の河田組長に打ち明けた。 兄貴分の河田は静雄の事も良く知っていたので、義理堅い男だという事も分かっていた。なので、大親分に相談して、静雄を自分の預かりにしたまま、気がすむまで好きにさせる事にした。 静雄はヤクザだけでなく、顔見知りの刑事にまで頭を下げて、組長の居場所を探す手掛かりを見つけようとしたが、全く分からなかった。 勿論、静雄とは関係なく、組組織のヤクザ達も3000万円という金があるので、組長を探していたし。警察も調査を続けてはいた。 組長の本妻、愛人、過去に恨みを持つ者を小学校時代にまで遡り探し、話を聞いた。 だが皆アリバイがあり、現状でも怪しい者は居なかった。 ——誰も手掛かりを見つける事が出来ずにいた。 そんな中、静雄が見つけた唯一の手掛かり。 それはネットの書き込みだった。 ——S組の組長は、B湖のアノ場所に沈んでいる。 その1文だけだった。 B湖のアノ場所と聞けば、ヤクザなら大体ピンとくる。 勿論、組長の失踪のニュースはテレビやネットでやっていたし。 アノ場所の話も知ってる人間は、一般人でも都市伝説として知っているのは僅かには居るので、悪戯で書き込む可能性は十分にある。 だが、もう尽くす手の無い静雄には、その書き込みくらいしか縋る物が無かった。半ば精神的にも、焦り追い込まれていたのかもしれない。 真夜中に、購入した釣り用のゴムボートを電動空気入れで膨らませると、ダイビングスーツを着込み、タンクを背負い、B湖のアノ場所に1人向かった。 湖だというのに強い流があり、さらに夜だ。 ダイビングの経験は、組の慰安旅行で行ったサイパンで1回しただけだ。 初めての海外旅行だった。組の皆んなで騒いだ姿が目に浮かぶ。 ダイビングの自信は全く無いが、覚悟は決まっていた。 此処で死ぬ事になっても後悔は無い。 そう心に決めていた。 アノ場所に着いた。 (アンカー)を持って来たが、全く底に着かない事にそこでやっと気付いた。 日本最大級の湖の一番深いと言われる場所だ。 少し考えれば分かるのに——、と静雄は自分がいかに焦っていたのかと自覚して、ふふふっと思わず笑い。落ち着け! と改めて自分に言い聞かせた。 どうせ、死んでも良いのだ。 帰りの船なんて考えるな! そう自分に、もう一言心の中で言った。 ダイビングライトのオンオフのチェックをして、胴の周りに付けられるだけの重りを付けて、タンクから酸素の送られてくるレギュレーターを口に加えると ドボンッ! と湖面に静雄はダイブした。 湖に入ってしまえば、後は大量の重りが、勝手に自分の体を水底まで連れて行ってくれる。 水中でダイビングライトを点けてみたが、暗い水中では自分の周りが少し明るくなるだけだった。静雄は直ぐにライトを消した。 ライトの電池も、タンクの酸素も無駄遣いは出来ない。 自分はダイビングの経験も1回しか無いから、どのくらい持つかも分からない。我ながら無茶苦茶だなと思った。 暗い水底で、目を瞑り、呼吸を浅くするようにした。 過去の事が思い出される。中学時代から腕っ節だけが頼りで、中3からヤクザの組に出入りするようになった。 兄貴と知り合い、色々2人で無茶もやった。 兄貴分が新たに自分の組を作る時に、来い! と声を掛けて貰えた事が本当に嬉しかった。生まれて初めて、誰かに必要とされた。 最高の組だった。 S組でもう一度やり直したい。 ————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————ゴボゴボ……。 暫く自分の吐く息の音だけを聞き、半ば眠ったように沈んで行くと、 どのくらい経ったのか? 足元に柔らかい物を感じた。 湖底に着いたのか? と思った瞬間——!? 急な下方向への強い流れが発生した。 もがくが、流れから逃れられない!? 湖底のさらに底へと吸い込まれて行く!! どうした事だ!! と静雄は急いでライトを点けた。 見上げると、見覚えのある物が見えた。 それは巨大な人の歯だった。 歯の裏側が見える。 上下、綺麗に歯は並んでいた。 なら、さっき感じた柔らかい物は? 舌か? 静雄は吸い込まれながら、ああ此処は口の中だと思った。 なるほど、これでは浮かび上がって来ない訳だと納得した。 ………………くそっ!? だが、この奥に……。 組長、俺がこれから迎えに行きますよ……。  闇の中で静雄は、この口の奥に居るであろう組長との再会を願った。
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