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鉛筆の先がキャンバスをなぞる音は耳を静かに刺激して、俺達はしばらく黙っていた。
日はまだまだ沈まない。夏とは違う高めの空はどこまでも澄んで青いから、絵の散らばった部屋の中から広い空間をぼんやり見つめた。
「なあ」
「はい、えっ、ぁ……」
気づけば、彼はすぐそばにいた。はっと飛び起きた俺の前で床の上に両ひざをつき、広げたシーツの端を掴んでこの体に巻き付けてくる。
彼の手によってシーツをまとう。俺をシーツで包み込みながら、この人の視線は俺の顔に向いていた。だから俺もチラリと窺った。
池にいる小魚を眺めるのとは、少し違う。たぶん、ちがう。
今は静かに、目が合った。
「天使の羽はどこから生えてると思う?」
「え……?」
「俺はこの辺だと思うんだけど」
ぱさっと、頬を掠めた彼の髪。肩口に感じた重みと、正面から背中に回された腕。
服の上から肩甲骨をゆっくりと撫でられる。動けなくなった俺の耳元で、彼は静かに呟いた。
「お前、飛べそうだよな」
「…………」
「ここから羽が生えててもたぶん驚かない」
これはいつもの、ひとり言か。それとも会話を求められているのか。
固まる俺から少しだけ身を離し、じっと視線を合わせてくる。
そのままスッと、頬には手を添えられた。
「あの……」
「待て。そのまま」
「え……?」
「ちょっと、待ってて。動くな」
「……はい」
言うなり彼は腰を立たせ、それまで描いていたのとは別のスケッチブックを持って戻ってきた。
俺のすぐ前に胡坐をかいて座り込むと、じっとこの姿を観察してくる。
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