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何をしているのか。何がしたいのか。関係はないが気にもなる。
するとその時、突風と言うには弱いが、木の葉をザザッと鳴らせる程度には強めの風が吹き抜けた。
思わずそこで立ち止まり、そしてハラリと、舞ったそれ。視界の隅にさっと映った。
彼の首元を巻くでもなく、やる気なく引っ掛けられていただけの軽そうなマフラーが空に浮かんだ。
軽そうではあっても風にそのまま乗っていけるほど軽くない布は、すぐに重力に負けたようだ。
パサリとそれが落ちていった先は、彼がいまだに凝視している池の中。
彼のマフラーは水面に浮かんだ。
「…………」
さて、これは日本人の性質なのか。それとも俺の性格なのか。
電車で座っていた時に、自分よりはるかに年配ではあるが背筋はピンと伸びていて元気そうな初老の人が目の前に立った場合。そういうときの感覚とほとんど同じだ。
近くにいた人がうっかり何かを落としたときも同じことが言える。一目で重要と分かる財布やらスマホであれば行動しやすいが、ちょっとした紙切れ程度を落とされたときは判断に迷う。
わざと捨てたのか、はたまた本当に知らずうちうっかり落ちてしまったのか。落としましたよと声をかけ、嫌な顔はされないかどうか。
「……あの……大丈夫ですか?」
マフラー。そう控えめに声をかけながら、彼のすぐそばに近付いた。
なぜならこれは紙切れではなく衣服の一部とも言えるマフラー。巻いてはいなかったが身に着けていたのだから防寒具であることに間違いはない。
目の前でそれを落とした人がそれを拾おうともしないならば、何かお困りごとですかなどと声をかけても不審ではない。
そう思って呼びかけた。
マフラーを落としたのがそんなにもショックだったのか、隣に立って覗きこむ彼の顔からは一切の表情が抜け落ちている。
ぼんやりと水面を目に映し、しかしどこを見ているのかは謎。濡れて色味の濃くなったマフラーを見ているような気もするが、そっちは見ていないような気もする。
「あの……」
もう一度小さく声をかけるも無反応。どうしたものかと対処に困るが、声をかけてしまったからには今さら無視するのもはばかられる。
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