1,エクリプス(日食)

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1,エクリプス(日食)

「食が始まった、太陽が欠け始めた!」 石を積み上げた祭壇の前に跪いた約2百人の村人の中から、悲鳴に似た叫び声が上がった。 今起こりつつあるのは、数十年に一度の太陽の完全食だった。 13歳のマナトにとっては生まれて初めての体験であり、村の大半の人々にとっても同様だった。彼らの生活を司っている太陽は、彼らにとって神であり信仰の対象だった。 太陽の恵みがなかったら穀物は実らず、人間だけでなくすべての生命は途絶えてしまうだろう。 この儀式を中心となって執り行っている祭司のクフスは、前回の完全食を目撃した数少ない村人の一人だった。クフスは祭司であり、また予言者でもあった。 彼は何年も前から、太陽の完全食がこの年に起きると予言していた。 クフスと同年代の村の長をはじめ、村人たちはクフスの神がかった予言の能力に一目置いていて、祭壇の前には病で寝たきりの者以外、赤子も母親の背中に背負われて、村人のほぼ全員が集まっていた。 最初のうち太陽は集まった村人たちの裏をかくように、いつもと変わらぬ熱量で光を振りまいていた。村人たちの中には、内心完全食への疑惑を持つ者もいた。 しかし1時間近く過ぎた頃、太陽の眩しい光が見せかけであることが、村人たちの五感が感じ取った異変によって暴かれた。 世界が血色を失っていくように、空気がひんやりとし影が不吉な予感に蠢いた。 そして、金縛りにあったような緊迫した状態を突き破って、誰かが叫んだのだ。 太陽が欠け始めた、と。 その声が合図であるかのように、事態は急変した。 影が一斉に躍り出て、鳥たちは慌てて塒を目指した。 太陽は急に力を失い、西の方角から黒く欠けていった。村人たちは畏怖の念に身震いしながら「おお……!」と感嘆の声を上げた。 祭司クフスが説いた。 日輪の神は地上に積もった穢れを取り除かせるため、姿を隠すのだ。人々は悔い改め、真摯に祈ることで己の穢れを浄化せよ。 村人たちは欠けていく太陽を目の当たりにして、その恐怖に突き動かされ、クフスの教えのままにひたすら祈りに没頭した。 祭壇の上には太陽の恵みである穀物が供物として捧げられ、香炉には神の木の樹脂から採った香料が焚かれていた。 神の木は祭壇の横に聳える大木で、樹齢百年をゆうに超えていた。その大きさも樹齢も村一番であり、幹の清浄な白さも村随一だった。 その木が神の木とされるゆえんはそれだけではない。白い幹の表面にはまるで人の手で彫ったような6つの光芒を持つ太陽の模様があり、1年で最も日が短く太陽の位置が低い日の朝、陽の光がその太陽の模様の円の中心に、狙い定めたようにまっすぐピタリと差した。 それが何かのスイッチであるかのように、その瞬間神の木の葉が黄金に輝いた。 それは数十分間続き、そのあまりの荘厳さに一番昼が短い日の朝になると村人がうち揃ってその光景を眺めるのだった。 その際、村人たちは心をひとつにしてその木を日輪の神の木と崇めた。
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