流星雨

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 舷窓の外は闇。それも漆黒の闇。このあたりから見える空は星間ガスの濃度が濃く、ただでさえ弱々しい星々の灯りを覆い隠している。その闇の中を、何本もの光の筋が生れては消える。流星雨だった。いつ止むとも知れない流星雨が降っているのだ。  田所奈津子は甲板に上がる階段をゆっくりと登る。低いエンジン音が通奏低音のように響く。波音は聞こえない。静かだ。奈津子は外へと通じる扉を慎重に開く。甲板に出た。防寒着のフードから顔を出す。 「寒い」  言葉すら白く凍る。ここは極地ではない。船は今、赤道を北から南へ横断しようとしているのだった。  いつからこんなに寒くなったのか。それは奈津子が生まれるずっと前の話しだった。世界は記録的な温暖化へと突き進んでいた。科学者たちは破滅的な未来を予測した。それにもかかわらず世界は迷走していた。地域ごとに同盟を築き、それぞれが自分たちにだけ有利なルールを作ると、それを自分たち以外に押し付けようとした。  そんな中、それはやってきた。太陽系の果てから。大彗星の群れが。発見された当時の方位にちなんで銀杏座彗星群と名付けられたそれは、数万個にもおよぶ巨大彗星の群れだった。  その発見当初、彗星のどれかが地球に衝突するのではないかと大騒ぎが起きた。特にメディアは世界の終わりだと煽りに煽った。たった一つでも地球に衝突すれば、文明の崩壊は間違いなかったからだ。しかし、科学者たちはもっと別のことを心配していた。それはこの彗星群の軌道にあった。彗星群の中で地球と衝突する軌道を進むものは当面無かった。まるで貨物列車のように綺麗に並んで太陽系内に侵入してくるその軌道は、内惑星軌道を横切り、太陽の間近を通過する。  やがてその時はやってきた。まず、最初の彗星が内惑星軌道の内側に侵入した。そして金星軌道付近で爆散する。それから後は野となれ山となれ。火星軌道から金星軌道の間で、彗星は次々と爆散し、あたりに塵とガスをまき散らした。元は巨大彗星の群れだった塵とガスは、火星軌道と金星軌道の間に広がった。ちょうど地球軌道を包み込むように。彗星の残骸に包まれた地球では、連日素晴らしい流星雨を見ることができた。科学者たちは警告した。寒冷化がやってくると。  奈津子の乗った船は日本からオーストラリアへの避難船だった。寒冷化によって壊滅的な被害を受けた北半球と違って、海流に守られた南半球には温暖な土地が残された。そんな南半球の国々が北半球の市民に手を差し伸べたのは、北半球の国々の政府が崩壊した後だった。崩壊前、北半球のどの国の政府も、自分たちの国民と財産を受け入れるよう、南半球の国々に要求してきた。時には軍事力を使って。だが、急速に進んだ寒冷化は、あっという間に北半球の人々を殺戮した。国民の大半を失った国家は崩壊するしかない。北半球の国家はことごとく崩壊した。日本も例外ではかなった。奈津子は数少ない日本人の生き残りだったのだ。 「こんなところにいたのか」  奈津子の背後で声がした。振り返る。 「星を見たかったの、お父さん」  奈津子からお父さんと呼ばれた男は奈津子の肩に手をかける。 「星など見えない。見えるのは、あの忌々しい流星雨だけだ」 「オーストラリアからなら星は見えるからしら?」 「さあな。中に入るぞ」 「はい」  奈津子は父に連れられ船内に戻る。ちらりと振り返った扉の向こうでは、全天を覆い尽くすほどの流星雨が降り続いていた。
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