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「うん。ウマイ」
パスタを一口食べて、慎はお世辞ではなく言った。
その笑顔を見て、雪弥はようやく緊張を解いたようだった。
「良かった」
雪弥も一口食べて、小さく頷く。
「今まで、どんな奴に食わせた?」
慎がさりげなく訊くと、雪弥は探るような目を向けた。
「何人くらい?」
「……」
「あんたは、男が好きなのか」
雪弥が唇を噛みしめた。困らせているとは判ったが、こういうことが無神経に訊ける程度にはまだ自分には余裕がある。そう確かめて安心したかったのかもしれない。
「五人、くらい」
だが明確な答えを返されると、その自信も一気に揺らいだ。
「へえ……じゃ、俺は六人目か。今もそいつらと会ってるのか?」
雪弥は首を横に振った。
「オレは、つまらないから」
謙遜ではなく、本当にそう思っているのが判った。苛立ちと、もどかしさが去来する。
「あんたがそんなだからじゃないのか」
「え?」
「あんたは自分を軽く見過ぎてる。無意味みたいに思ってる。だから相手も都合よく離れていくんだろ」
雪弥は知らない言語を聞かされたみたいに困惑した表情で慎を見つめた。実際、言われた意味が判らないのだろう。
慎は軽く肩をすくめて残りのパスタを口に運んだ。
雪弥はすっかり俯いて、正座した膝の上に置いた自分の拳をじっと見ている。
「冷めるぞ」
ほとんど食べていない雪弥のパスタを見ながら慎が言うと、雪弥が小さく何か呟いた。
「え?」
「――宝井も、離れる?」
慎は絶句して雪弥を見つめた。雪弥は顔を上げられずにいる。
「いつもそういうこと言うのか」
「え、」
「俺以外にもそういうこと言ってる?」
「! ……違ッ」
雪弥はすがるような目で身体を乗り出した。慎を見つめる瞳が傷ついたように揺れる。
慎は頭の芯が痺れるような感覚を覚えた。
これは雪弥の無意識の手管なのだろうか。この目で訴えられれば、誰だって落ちる。
「宝井、オレは、」
動揺に唇を震わせながらも二の句を継げずにいる雪弥が憐れになって、けれど明確な答えを返すことも出来ず、慎はふっと視線を逸らした。
「俺はあんたを、無意味だとか、つまらないなんて思っちゃいない」
苦しい言葉を吐き出すと、雪弥はそれでも少しほっとした様子で息をついた。
「早く食っちまえよ」
雪弥はちいさく頷くと、叱られたあとの子供みたいな頼りない表情で、残りを食べ始めた。フォークと白い歯がぶつかってカチリと小さな音を立てる。パスタが形の良い唇に吸い込まれてゆく様を、慎はかすかな劣情に苛まれながら見ていた。雪弥の頬がまた徐々に染まってゆく。
居たたまれなくなって、慎も残りの料理を平らげると皿を流しへと片付け、雪弥の許しを得て換気扇の下で煙草を吸った。じきに雪弥も食べ終わり、皿を洗い始める。
「うまかったよ。ごちそうさま」
「うん」
皿を片づけて慎がソファに戻ると、雪弥は部屋の隅に置かれたベッドのうえに腰掛けた。
この部屋にはテレビもパソコンもない。
「いつも夜は何してるんだ」
「何も。ぼんやりしてる」
その回答がおかしくて、慎は小さく笑った。
「宝井は?」
「俺は、テレビ見たり、本読んだり」
そう言いながらベッド脇の本棚に目をやると、スケッチブックが置かれているのが目に入った。
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