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その日、崎谷と食堂で昼食を取っていると、トレーを持った雪弥が少し離れた席に座るのが見えた。
慎を認めると、雪弥は小さく笑った。それは雪解けの庭に咲く、スノードロップのような可憐な笑みだった。
以前、慎を避けるように立ち去った時と比べると、随分打ち解けてくれたようで嬉しくなる。
「へえ……アイツ、笑うんだ」
崎谷が意外そうに言って慎を見る。それから慎の表情を見て、意味ありげにニタリと笑った。
「お前もな」
「え」
「ニヤけてんぞ」
慎は慌てて口許を片手で覆った。
「そうかそうか、へえ、そうなんだ」
「何がだよ」
慎が睨みつけると、崎谷は何故だか嬉しくてたまらないといった顔で、尚も慎をニヤニヤと見つめ続ける。
「なんなんだよ、お前!」
珍しく取り乱す慎に、崎谷は愉快でたまらない様子だ。
「いいよ、お前。いつもそういう顔してろよ。普段の仏頂面よかずっといい。ニヤけた男前ってのがたまらんな」
「なんだそれ」
「あいつもだ。びっくりした。笑うと可愛いのな、すっげえカワイイ。鳥肌立ったぜ」
慎がそれに反応して鋭い視線を向けると、崎谷は大げさに顔の前で両手をあげて見せた。
「心配すんな。取ったりしねえよ」
「んなんじゃねえ」
「分かった分かった、そう怒るな。でもあっちは違うぞ、完璧お前に惚れてるぞ! あれは恋する乙女の目だ、間違いない。泣かせるなよー」
慎はうめいて頭を抱えた。
「まさかお前がねー、こないだからなんかアイツのことでワタワタしてると思ったら、そういうことか。まー、でもなんか解るな、あいつって男くささがないっていうか、妙に色っぽいっていうか、お前とそういうことになっても全然違和感ないよなー」
「おまえ……本気で言ってんのか」
「本気よ、もちろん。俺そういうの全然気になんないし、むしろあいつ危なっかしいからお前が捕まえとけば安心っていうか」
「……随分、気にしてるんだな、あいつのこと」
慎がぼそりと言うと、今度こそ崎谷は、ふは、ふはははははッと大口を開けて笑い始めた。周りが何ごとかと振り返ってもおかまいなしだ。
慎はこれ以上ないほど仏頂面で崎谷が笑い終わるのを待っていた。
「いやあー、笑った! 久々に笑ったわ。おまえ判り易すぎ! 恋するとそんなんなっちゃうんだ」
涙を拭いながらまだヒクヒクと笑っている崎谷を見ていたら、なんだか下手に取り繕うのもバカバカしくなってきて、慎はふてくされたままランチをかきこんだ。
崎谷はようやく笑いを収めると、今度はすっと目をすがめて慎に顔を寄せた。
「でもお前、気をつけた方がいいぜ。殿下がご乱心ぎみだからな」
「は?」
「ハイネスがあいつのケツを追っかけ回してるって噂は前からある」
慎は崎谷の情報収集力に舌を巻く。
「で、今日、工場長と一緒に歩いてる奴、あれハイネスの兄貴だ」
「え」
崎谷が食堂の一か所に目を留める。その視線を追うと、工場長の早川と三十代前半くらいの青年が、何やら書類を見ながら食事をとっているのが見えた。
「工場長の長男で、本社の商品開発部課長。K大理工学部出身のエリートだ。ハイネスもそこそこの大学を出てて頭も悪くないらしいが、兄貴の比じゃない。回りからも随分比較されてるらしいな。工場長も長男に随分期待してるらしいし、ハイネスにとっては煙たい存在なんだろ。兄弟仲も悪いみたいだ」
「おまえ、なんでそんなに色々知ってんだ」
「情報収集はサバイバルに必須だぜ。もっと色々教えてやろうか」
「……いや、いい」
「つまりハイネスは今日、とんでもなく機嫌が悪いってこと」
「……」
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