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練習試合申し込み
ヤナハ資立第一宗麟高等学校モーターサイクルクラブ第一部部長、佐々木原雅。
光の加減で紫がかっている様に見えるややウェーブの掛かったロングヘアーを靡かせ、楽しそうに笑うその瞳は赤みを帯びておりどこか神秘的な雰囲気を醸し出している。
表情も同じ年齢である千晶よりも更に大人びており、大学生でも十分に通用する程の空気を纏っていた。
そして彼女を見た者にそう感じさせる一番の理由それは……その豊満な胸にある事は言うまでも無い。
千晶とはまた違った美女であり、千晶とは異なる魅力を振りまいている雅は言うまでも無く妖女であり、やはり周囲の視線を引き付けていた。
ただし、余りにも残念なのが。
「ところで、千晶ぃ。久しぶりに会った親友の提案を受けて見ない?」
雅のこの余りに砕けた物言いだろうか。
黙っていれば間違いなく妖艶な美女である事に間違いないのだが、その話しぶりは年相応に……正しく女子高校生の軽いノリなのだった。このギャップが、周囲の者を困惑させる要因であった。
「だから、あなたとは先週に会ったばかりでしょう? それに、誰が親友なのよ? あなたと友達になった記憶さえ無いわ」
そんな雅の台詞を聞いて、またまた千晶はため息交じりに返答していた。勿論これは、千晶一流のジョークでもあるのだが。
「釣れないわねぇ。まだ先週の事を根に持ってるのぉ?」
「もう気にしてないわよ。だいたいあれは、周回遅れのマシンがあなたに気付いて私のラインを塞いだから……」
「はいはい。分かってるわよ、もう。可愛いんだから」
千晶の棘のある一言にも、雅が動じた様子はなかった。
それどころか、そんな千晶に返した台詞に、彼女の方がややムキに反論していたのだ。これには、それを見ていた千迅たちも声を失っていた。
因みに雅の言う「先週の事」とは、10日前に行われた日本国内グランプリ250CCクラスレースの事である。
国内A級ライセンス保有者は勿論、海外契約のレーサーも参加する日本屈指の大会でもあり、ライセンスさえあれば参加条件はクリア出来る。
この日本にある高校でも、ライセンス取得者は率先してこの大会に参加しており、上位の猛者が集うこのレースで千晶と雅は好成績を残しているのであった。
「……なんだか、凄いわね」
紅音たちにとっては、大袈裟に言えば雲の上の存在ともいえる本田千晶に対して、何とも明け透けな態度を取る雅の存在は驚嘆に値していたのだが。
「……ええ、本当に。なんて破壊力なのかしら」
「……うん。あれは、ダイナマイトよねぇ」
「……え?」
隣でも2人に見入っていた貴峰と沙苗が、紅音に答える形でそう口にした。
もっともその内容はどうにもちぐはぐで、ちゃんと会話が成り立っているとは到底言えないのだが。
「……あなた達、何の話をしているのよ?」
何となく状況を察している紅音だったが、念の為にその内容を問い詰めるも。
「何って……あの人の体型よ。あれは、男をダメにするスタイルだわ」
「うんうん。あの人には、ちょっとやそっとでは勝てそうにないわね」
返って来たのは案の定、雅の見た目に対する感想であった。これには、紅音も嘆息して諦めるより他は無い。
そんな2人に見切りをつけて、改めて2大巨頭の会談場所へと目を向ける紅音の視界に、どこか呆けている千迅の姿が入って来たのだった。
色恋沙汰には疎い千迅がこうも雅に見入る事に、紅音は意外感に駆られて彼女に声を掛けていた。
「あら、千迅? あなたもあの人の事が気になるの?」
そんな千迅に対して、どこか意地の悪い言い様で紅音が質問する。
平気で中学生時代に着ていた水着を使用する千迅が、魅力的な女性に目を奪われるという事自体が意外であり、興味に駆られた問いでもあったのだが、聞こえているのかいないのか千迅はそれに応えず未だぼぅっと千晶たちを見つめていた。
「まぁ確かに、あの方のスタイルは……」
「……凄い光景だよねぇ」
話を続けようとした紅音の言葉を遮って、千迅は表情を変えないまま呟いた。
そしてその声を聴いた紅音は、思わず千迅の方をマジマジと見つめたのだった。
その表情から察するに、千迅は何も雅の姿に見入っていた訳では無い。勿論、千晶に見惚れていたという事も断じてなかった。
彼女はただ、高校バイクレース界を牽引する大物2人の戯れを、憧憬をもって見つめていたのだ。
他の面々がどうなのかはともかく、千迅は一目見て雅も千晶と同等のライダーであると察していたのだ。
いや……ライダーだとは把握できていなかったかもしれないが、千晶と同格の雰囲気を目ざとく察していた……とでも言おうか。
高校モーターサイクル界最高峰の2人が放つ風格……オーラは、それを感じる者にとっては畏怖の対象であり、憧憬の的であり……身震いするほどの高い目標でもある。
事実千迅は強張った顔に笑みを浮かべ、心なしか小さく震えている。それと同時に千迅は、本能的に雅ともいずれは走ってみたいと感じていたのだ。
今の彼女にしてみれば、それはどうにも分不相応な望みでしかない。
それでも千迅は、いつかはその状況になる事を夢見て、更には千晶と雅、そして自分がサーキット場でバトルを繰り広げている処を想像までしていたのだった。
その余りにも楽しそうな光景を千晶と雅の姿から夢想し、その時に抱くであろう歓喜を瞳に湛えていたのだ。
「……そうねぇ」
それを確認した紅音は、千迅と同じ様に千晶たちの方を見つめてそう呟き返したのだった。
「……それで、雅。提案と言うのは何なの?」
一頻り挨拶代わりの会話を交わし終えた千晶が、本題を切り出す様に雅を促した。
互いに過去のレース結果に執着する性格ではないと知っている千晶は、雅がどんな話を持ってきたのか興味があったのだった。
「うっふふふ。昨日、あるレースを見て来たんだけどねぇ……」
千晶に促されても尚、雅はどうももったいぶった話し方をした。
本当ならば苛立ちを露わとしておかしくないだろうが、付き合いも短くなく互いの事を良く知る2人には、これはどこか気の置けないやり取りだと言って良いだろう。
千晶としても雅にしても、その能力の高さや容姿から各々の学校では孤高の存在と言ったポジションにいる。2人ともそれは分かっているし、それが自分の役割だとも理解していた。
それでも誰もが……千晶に至っては美里でさえ、どこか一線を引かれた様な態度を取られれば、それはどこか寂しいものでもある。
もしかすると2人は、そんな侘しさを互いの存在で補っているのかも知れない。
「それなら、私たちも見て来たわよ。スズカ4時間耐久レースでしょう?」
雅の言うレースが何の事なのかは、改めて言われなくともすぐに分かる話だった。
昨日のレースで今日ここに雅がいるとなれば、この近辺で行われたレースという事になる。
そして雅ほどのレーサーが見に行くとなれば、他に考えられるのは明日行われるスズカ8時間耐久レースか、自身の参加しない日本グランプリ、もしくは日本で開催されるWGPぐらいであったのだ。
「そう! そこにも私たちの高校のチームも参加してねぇ?」
「それも知っているわ。確か順位は……8位だったわね?」
そのスズカ4時間耐久レースで、翔紅学園所属の第二自動二輪倶楽部は大健闘の4位となった。そして千晶の言葉通り、宗麟高校のチームは8位だったのだ。
参加チーム数から考えれば、高校生チームが8位入賞でも立派な成績と言える。
「まぁ、検討したんだけどねぇ。耐久レースは、単なる速さだけを競うレースじゃないし、何よりも長丁場。この暑さの中じゃ、途中でどんなトラブルがあるかは分からない以上、この結果は十分満足のいくものだと思うよ? ……もっとも、当人たちはどう考えているか分からないけどね」
苦笑を浮かべて話す雅の意見に、千晶も賛成だった。
直接参加していない者からすれば納得のいく結果であっても、当事者たちがそう考えているかどうかは別問題だ。
何よりも雅には、悔し涙を流す同級生たちの姿を見る限りでは、とても満足のいく結果ではなかった事が伺えるものだったのだ。
「それでさ。あんな熱いレースを目の前で見せられちゃあ、身体がどうにも疼いちゃって仕方がないのよねぇ。……分かるでしょ?」
そこまで話されれば、雅が何を持ち掛けてこようとしているのか千晶にも十分に察せられた。
短い付き合いでは無いのだ、それも当然の事なのかも知れない。何よりも……。
「なるほど……。試合を申し込んでいるのね?」
そう発想出来るほど、千晶も内心熱くなっていたのだった。
レースがあったのは昨日ではあっても、それこそ昨日の今日と言う話である。心の中に渦巻いた熱気を、そう簡単に沈める事が出来るほど千晶も大人では無かった。
「さすがに話が早いねぇ。こちらの部員にはもう話を通してるんだけど……どうする?」
先ほどまでの和気藹々とした雰囲気を抑えて、雅はどこか挑発的な表情で千晶に決定権を委ねた。そして千晶も、あごに拳を当てて僅かに考え込む素振りを見せたのだった。
合宿中に練習試合をする事は禁止されていない。ある程度安全性が考慮されていれば、今のモーターサイクルとその装備で大怪我をする事は考え難いのだから、これは当然とも言える。
それでも千晶は、即答する事を避けていた。それは。
「それは良いけれど、私とあなたは不参加と言う条件でならね」
「ええ―――っ!?」
改めて突き付けられた千晶からの条件に、雅はたいそう不本意な声を出していた。
彼女としては、自らモーターサイクルを駆りレースに熱狂したかったのだから仕方がない。
「もう……何を言っているの? 私とあなたは、合宿明けのスプリントレースに参加予定だった筈よ? 先週のレースでの疲労も考えれば、練習試合と言ってもレースが出来る訳が無いでしょう? それと同時に、そのスプリントレース出走予定者は参加不可よ。それで良いなら了承するわ」
嘆息気味に理由を説明した千晶に、雅は言い返す事が出来ずに歯噛みしてしまっていた。余りにも正論過ぎて、反論の余地さえ無かったのだ。
「……分ったわよぅ。それで良いわ」
それでも、少しでも胸の熱を和らげる事が出来るなら……。
何よりも、千晶も雅も誰よりレースを愛しているのだ。
自分たちの試合でなくとも白熱した戦いに胸は高鳴り、未熟であったとしても真剣なレースならば見ていて白熱するに間違いはない。
だからこそ、雅は千晶の条件に頷いたのだった。
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