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さあ、出かけよう。 出かけよう。 今日は素敵な日。 夕方、仕事帰り、学校帰りの人々で混雑する駅の中。 ここに来るまでずっと柴犬の姿をしていたマルは肉塊のような歪な形の化け物に姿を変え、一気に4、5人ほど飲み込んだ。 一瞬だったから叶多には何人いなくなったかわからなかった。 知らない誰かの悲鳴が叶多とマルに向かって放たれる。悲鳴一声、きっとどこかの世界の誰かの笑い声に変わるだろう。 マルが人を食い殺すのも、僕が人を殺すのも、誰かにとっては叶えられない夢なんだ。 恐竜のような姿の化け物になったマルは駅の天井に頭がつくほど大きくなった。逃げ惑う人々を追いかけ、隅に追いやると大きく口を開き、飲み込んでいく。ばらばらになった人間の足や手が床に転がる。 マルは背中から触手を伸ばし、走る人間たちを捕らえ身体の中へと引きずり込んでいく。テーブルに並べられたたくさんの料理に箸を伸ばしてあれもこれもと食べるように。 小さい頃、家の庭にあったアリの巣穴に木の棒を刺して掘り返した叶多。家を破壊され困惑するアリたち。その中でも勇敢に立ち向かい、木の棒に噛み付くアリたちもいて、叶多はそのアリを木の棒先で夢中になって潰していった。 叶多は逃げる1人の女性の腕を掴んだ。女性は抵抗したがすぐにマルが伸ばす触手につかまり、マルの身体の中に引きずり込まれる。 その女性の悲鳴を最後に駅の中は閑散とした。 静か。 とても。 森の中にいるようだった。 マルは大きく身体をうねらせると、徐々に小さくなり、叶多と同じほどの大きさになる。人の形に変わり、うねりがおさまると伊東の姿に変わった。 「マル。どうしたの伊東くんになるなんて」 伊東の姿をしたマルは片手を叶多の前に上げる。握りしめている手の平側。開くとクシャクシャになった電車の切手があった。 マルは叶多の片手をそっと取ると、その手に切符を置いた。 「電車、乗ろうか」 叶多が言うと、マルは叶多の手を引き、駅の改札をくぐりぬけて行った。 マルは帰らないといけない。 マルのお腹がぐうっとなった。まだ食べたりなかったのかもしれない。 宇宙に。 そろそろ帰る時間だ。 これから長い旅になる。 マル、ありがとう。 今までありがとう。 さようなら。 駅のホームに電車が停止したままになっていた。 なんとか動かせないだろうかと、叶多は電車の周りをうろうろと歩いていた。 伊東の姿をしたマルも電車をぼんやりと眺めている。 「電車うごかないね」 言いながらマルの隣に立った叶多。 マルはしゃがみ込むと自分の手を引きちぎり電車の車内に置く。ちぎった手は液状に溶け出し、車内の隙間に入り込んだ。 何をしているかと不思議そうにながめていた叶多。 突然自分の名前を呼ばれた。 女性の声だ。 カンカンカン、と階段と靴が当たる音が迫る。気になった叶多は車内から顔を出す。 女性と男性が2人。 叶多は知っていた。 「刑事さん」 と、叶多は言った。 「佐藤くん、やっと見つけた」 女性の刑事、大村は息を切らしながら言い、叶多から少し離れた前で立ち止まった。 「僕、これから、マルを宇宙に帰すんだ」 大村は叶多の背中越しに姿を出したマルに目をやる。 「彼の遺体、燃えたあなたの家にあった。どうして伊藤君がここにいるの」 大村が言う。 「伊藤君じゃないよ。マルだよ。刑事さん。伊東くん死んだのしってる。僕とマルで殺して食べた。マルは宇宙からやってきたんだ。怪我をしていたから、栄養をつけて元気になったからこれから帰る」 「佐藤くん、宇宙から生命体なんてものは来ないわ。いないの」 「マルはいるよ。ずっといる」 「いないの。あなたのわんちゃんとお母さんはもうずっと前に死んでるの。思い出して。戻ってきて、佐藤くん」 「みんなみんな、僕が殺してたの?」 電車独特も空気が抜ける音が聞こえた。 「ありがとう刑事さん。教えてくれて。さようなら。みんなさようなら」 叶多はマルとともに電車に乗り込んだ。 電車は動き出し、2人を運んで行く。 夕暮れの日差しが電車内に入り込む。 走る電車。どこまでも。 揺れる車内で叶多は手すりを掴んで踊るようにしてゆらゆら揺れていた。 「マル、俺、すごい。刑事さんが来たんだよ。俺、刑事さんに追われているんだよ」 叶多は座席の上に飛び乗り、跳び跳ねながら座席の上を移動する。 「絶対ニュースになっているよ。大ニュースだ。俺がいじめられてたことも、お父さんに殴られてたことをみんな知るんだ。俺が人を殺して当然だなんてみんなが思うんだろうなあ。とっても悲しくて可愛そうな人間がここにいることをみんなが知るんだ」 座席を飛び跳ねながら移動する叶多を目で追うマル。 「ご飯を食べると嬉しいでしょ。同じだきっと。誰かの死体を食べれば幸せになれる。誰かが死ねば誰かが幸せになるんだ。誰かが苦しめば誰かが安心するんだ。マル。きっかけをくれてありがとう。マルに会えてよかった。マルがここに来てくれて嬉しかった。ありがとう」 叶多はマルの隣に座った。 「必ずマルを外に帰すね。僕にできる最大限のお礼」 マルは叶多の顔を見つめる。何も言わない。 「伊東くんの顔なのが恥ずかしい」 電車が揺れる。 「なんだかデートに行くみたい」 叶多はマルの肩に寄り添った。 しばらく、電車に揺られた叶多とマル。 徐々に窓の景色の流れが遅くなっているのに気づいた叶多。 思った通り、電車は止まってしまった。 「線路、歩いて行こうか」 叶多はマルの手を引き、立ち上がる。 電車の扉が開き、2人は電車から飛び降りた。 砂利で足元がおぼつかない。普段線路の上に立つこともないから、叶多は面白かったのか無邪気に笑う。 「マル、こっち」と叶多はマルとともに走り出す。 叶多はレールの上を飛び跳ねるようにして駆ける。マルも真似をして同じように駆ける。 線路はどこまでも続いている。 どこまでも。 どこまでも。 オレンジがかった空を見上げる叶多。 とてもきれい。 隣を歩くマルを見る。 君が好き。 彼の手を引いている。 幸せだ。 幸せ。 幸せ。 幸せ。 銃声。 叶多がつないでいたマルの手が砕ける。 大きな衝撃に叶多は後ろに倒れ込んだ。 マルの腕が波打つ。数え切れないほどの手が生えていく。頭を起こした叶多は周りを見渡した。2人を囲むように線路越しに銃を構えた人がいた。 銃声。 マルの肩が撃たれる。さらにマルの身体が波打つ。 やめて。 マルをいじめないで。 もう、マルを殺さないで。 銃声。 叶多はマルの頭をかばうようにして飛び出した。
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