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「できれば、真也さんが育てた寄せ植えを一緒に撮ってほしいんだけど」
「わかりました。じゃあ、中腰になってください」
俺は、中腰になった晴美さんとクリニックの玄関先の寄せ植えがちょうどよい塩梅で写るアングルにカメラを構えた。
香織さんから依頼のあった、クリニックの職員全員の写真を撮る機会だ。スタッフ個別写真のトップバッターは晴美さんだった。
カメラを操作して構図を決めたものの、まだファインダーはのぞかない。被写体と対話を重ね、本音を引き出す。それが俺の撮影スタイルだからだ。
今回の職員撮影では、せっかくだから各々が好きな場所で写真を撮ろうということになっていた。
「この場所を選んだ理由って何でしょうか?」
「わたし自身、出勤する時、プランターが必ず目に留まるのね。それで、『あぁ、今日も真也さんがきれいに手入れをしてくれたんだなぁ』って嬉しくなるの」
時々さぼることもあったが、俺はこの一年間、自分なりに愛着を持って世話をしてきた。
「手をかければかけるほどきれいに咲いてくれるので、俺も嬉しくて」
「きっと、患者さんたちも同じはず」
「癒しになってますかね」
「もちろんよ」
そう言って微笑みを浮かべた晴美さんを撮った。
「このクリニックには、ちゃんと人間の温かさがあると思う」
「それ、香織さんにぜひ言ってあげてください。病院勤務の頃の香織さん、ちょっと冷たい感じだったんですよ」
「何となくわかるわ。腕はいいけど性格に難があるっていうか……。いや、違うわね。香織先生の場合は、きっと他人との接し方がわからなかっただけなのよ」
うんうんと聞きながらファインダー越しに晴美さんをとらえてシャッターを切っていく。
「俺が、そんな香織さんを島の名医に育てました」
「あはは、そうね。本当にそうだわ」
心からおかしそうに笑う晴美さん。そんな晴美さんの顔を見たら患者も不安が軽減するのだろう。歯を見せて笑った晴美さんを撮り、職員写真はこのカットにしようと思う俺だった。
続いては仁美さん。事務の窓口に座る仁美さんは、まだ写真を撮られることに苦手意識を持っているのか、その表情は硬い。これは、過去のことが原因ではなく、もともとの性格なのだろう。
「ミチヨさんが大阪に行っちゃって、寂しくなったね」
「はい。私は今でもついミチヨさんの通院の曜日には真也さんからの電話を待ってしまいます」
「あのばあちゃんのことだから、大阪でも何だかんだで元気にやってるんだろうなぁ」
「そうだといいですね」
くすりと笑ってくれた仁美さん。一年前とは見違えるほどに、自然な笑顔が出るようになった。
「やっぱり、仁美さんにとってはこの場所がクリニックの中で一番好き?」
「休憩室とかもいいかなぁって思ったんですけど、ウェブサイトにふさわしいのはやっぱりこっちだって」
「優等生だなぁ」
「みなさんからもそう言われます」
これまで伊達眼鏡をかけることで自分を守っていた仁美さんは、離婚をきっかけにそれをはずした。だがミチヨさんが眼鏡がないと仁美さんだとわからないのではと思い、仕事の時はかけている。そして、ミチヨさんがいなくなった今も、仁美さんは眼鏡姿だ。
「その眼鏡、もう必要なくなったんじゃないの?」
「何となく、はずせなくて」
「それほど、ミチヨさんとの思い出があるんだね」
「そうですね……」
「あのばあちゃん、俺の写真館に間違えて来て、仁美さんが迎えに来た時本当に安心した顔するんだもんなぁ」
ミチヨさんとのことを思い出したのか、優しい笑顔になった仁美さんを俺は素早く切り撮った。
「じゃあ、これからも眼鏡がよく似合う優等生の仁美さんでいる?」
「うーん。でも、優等生の殻は破りたいかな」
本来、仁美さんも朗らかな人なのだろう。新しい家族もできたことだし、これからもっともっと仁美さんに幸せが訪れるはずだ。
「じゃあ……毒舌キャラとか?」
「それ、いいかも……」
「お手やわらかにお願いします……」
写真に撮られることが得意ではない仁美さんに、俺はこれ以上シャッターを切ることはなかった。さっきの優しい笑顔の写真で十分だ。
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