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【第一話】ビオラ
*
妻の香織さんが、備えつけの立水栓を使って手に持ったじょうろに水を入れる。明るいライム色の上下スクラブにオーバーサイズの灰色のパーカーを羽織った香織さんは、笑顔で俺の名を呼んだ。
「真也くん。プランター、お願いね」
「了解」
短くそう言い、じょうろを受け取った俺は花に水をやる。シンプルな木製の足つきプランターには白とブルーのビオラが植えられている。涼し気な印象を与えるこのプランターは贈り物だが、俺も香織さんも気に入っている。続いて、並べて置かれてあるオレンジ色と黄色のビオラが植えられたプランターにもたっぷりと水をやった。こちらは賑やかなプランターだ。
水やりが終わると咲き終わった花がらを摘んでいく。摘んだ花がらは足元に置いた柄つきのちり取りに捨てていった。
傍らに置いてあるほうきを手に取って出入り口の掃き掃除を始めた香織さんが、手を止めて俺に問う。
「ねえ、真也くん。それってパンジーだったっけ?」
「違うよ。これはビオラ。パンジーに似てるけど」
ビオラとパンジーはとてもよく似ている。だが、俺も両者の違いを説明することはできなかった。プランターを贈られた時に聞いたはずだが、忘れてしまった。
「まぁ、いっか。きれいなことに変わりはないもんね」
香織さんの言う通り。
プランターのビオラに水をやっていた俺は、ふと手を止めて遠くを見やる。五月の陽射しを受けて遠くに見える海はぼんやりと輝いている。今日もいい天気だ。
「真也くん、お願い」
「うん」
水やりを終えた俺は、香織さんが集めてくれたゴミをちり取りで受ける。ゴミといってもごくわずかな砂くらいしかない。
振り返って、香織さんが建物を仰ぎ見る。
「まさか、こんなに立派なところに移住するなんてね」
俺もつられて振り返ろうと、両手を自分の両サイドにやった。両サイドに位置する大きな車輪の外側、車輪よりもひと回り小さいサイズのハンドリムといわれる部分に手をかける。そして片手だけを使ってくるりと方向転換した俺は、香織さんと同じように建物を仰ぎ見た。
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