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【第四話】浴衣
*
盆を過ぎると季節が進む──。
そんなことは大昔の話だ。今では盆が過ぎようが台風が一過しようが、残暑は続く。それこそ十月くらいまで。
そんな残暑の中、とある事情があって別の理由で発熱しそうな俺は、『ますいペインクリニック』の整形外科診察室に置かれた診察台の上で奮闘していた。
何とか形になったような気がした俺は、背を向けて診察台脇に立つゲンキくんに声をかける。
「なぁ、ゲンキくん。こんな感じでいいかなぁ」
振り向いたゲンキくんが、眉間にしわを寄せる。
「うーん、何か違うような……。でも、一応それらしく見えるから、やっぱ帯の結び方かな」
「帯なんて結んだことないからわかんない。ってか、俺なんて適当でいいじゃん」
スマホで検索した動画を見ながら俺なりに頑張った。だが、もともとどれが正解かがわからないから、完璧にこなすのは土台無理な話だ。
「あー、そんな投げやりでいいんですか? 香織先生も今頃、素敵に変身中なのに」
そうだった。今頃住居で同じように奮闘しているであろう香織さんを思い、俺はたちまちやる気を取り戻す。
「だめ。ちゃんと俺は、香織さんに釣り合いたい」
「そうこなくっちゃ」
にやりと笑ったかと思うと、ゲンキくんがふと真顔に戻る。
「っていうか、真也さん。いったん帯はおいといて、車椅子に移乗しましょう。それこそ、それらしく見えたらいいんだから」
「あ、なるほど」
ゲンキくんの意図することを理解した俺は、診察台から車椅子に移乗した。移乗する際に乱れた着衣を直しつつ、ゲンキくんは言った。
「帯は移乗してからでよかったんですよ」
「それなら、最初にそれを言ってよ……」
「すみません。なんせ僕も目の当たりにしたのは初めてなんで」
ゲンキくんは帯を数周俺の身体に巻きつけたかと思うと、背中のところで結んでくれた。そして、二歩ほど遠ざかって俺を眺める。角度を変えたりして、俺は多角的に眺められる。
「うん、どっからどう見ても浴衣を着ている人にしか見えません」
俺は診察台に置いたままだったスマホを手に取ってカメラアプリを起動させ、ゲンキくんに渡した。
「写真撮ってくれる?」
「はーい」
カシャっと撮れた写真を確認する。さっきゲンキくんが言ったように、どこからどう見ても浴衣を着ているように見える俺が写っている。
「おっ、いいじゃん。浴衣に見える」
「これは立派な浴衣ですよ。真也さん、渋いです」
にっこりと笑ってくれたゲンキくんに気をよくする。
ゲンキくんが立派な浴衣だと言ってくれたこの衣服、これは厳密には浴衣ではなく、いうなればなんちゃって浴衣だ。浴衣に見えるようなデザインの、上下セパレートの衣服。
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