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「…アルバート兄様」
ポツリとアリアはそこにいた男の名を呟く。アルバート・ミア・スカイラー。スカイラー家の長男であり、いずれは家督を継ぐ身だ。二十代後半という異例の若さで上議院の末席に名を連ね、政財界にも広く知れ渡っている。
「やはり、お前が来るかアリア。まぁ、問題ない。お前の能力は既によく見知っている」
アルバートはあくまで余裕の表情を崩さず腰のホルスターからベレッタM92Fを抜き放ちその銃口を向けた。だが。
「…よく知っている?お前が?誰を?」
リアムは静かに独り言のような口調で、続ける。
「お前にこの子の何が分かる?異能力者というだけでこの子の全てを否定してきたお前らに、今さら何が分かる?何も分かるわけがないよな」
だって、と。
「理解しようとしたことすらないんだから。お前にこの子のことは分からないよ、永遠に」
そう続いたリアムの挑発を皮切りにアルバートが発砲。が、放たれた弾丸がリアムに着弾する寸前でアリアが構築した防御障壁に遮られる。最初から意図的に傷を作りいつでも異能の行使ができるよう血を流し続けていたアリアに、死角はない。
「…大丈夫だよな、アリア」
その静かな問いにアリアは無言で頷き、リアムから一歩離れた。それと同時にアリアの防御障壁が虚空に溶け込むように消え去る。互いに此処までは大きな怪我はない。アリアは多少負傷しているものの能力の性質上、寧ろ好都合だ。
「…彼奴相手に長期戦は不利だ。一気に決めるぞ」
「うん、分かってる」
アリアが短く答えた直後、銃声が轟き放たれた弾丸が二人を襲う。アリアとリアムは一度二手に分かれ別々に防御障壁を展開した。だが防御障壁の複数展開は高等技術。さらに一つの障壁で防げる弾丸は一、二発が限界だ。案の定、二人の防御障壁にはひびが入り後一発でも被弾すれば砕け散ってしまうところだった。そして。
「ギリギリで防ぎきってどうする?どうせお前らは一定の距離以上離れられない。この勝負、既に私が勝ったも同然だ!」
アリアとリアムは一定の距離以上離れられない。その大前提を振りかざし、アルバートが吼える。だが、その大前提こそを鼻で笑いリアムもまた挑戦的に応じた。
「…確かにアリアは俺から離れられない。家の中ですら一人じゃまともに動けないような子だ。けどな、その前提にはたった一つだけ例外が存在する」
そう、たった一つの例外。それは。
「…アリアは戦場でなら、俺から離れられる。まぁ、視界に俺がいればの話だけどな」
「…っ!」
リアムの言に息を飲み、アルバートは気付いた。否、気付いてしまった。己の視界内にアリアの姿がないことに。
(一体何処に…)
そんなアルバートの内心を読み取ったのかその疑問に答える声は、唐突に背後から響いた。
「…後ろですよ、お兄様」
「…っ!」
全身が凍り付くような悪寒。声にすら滲み出ている殺気。絶対零度の声音。
それら全てに頭ではなく体が反応しアルバートは即座に振り返る。だが、遅い。アリアは既にアルバートとの間合いを十分に詰めている。後は刀を抜き、その首を落とすだけだ。それだけの、はずだったのに。
「アリア!」
切羽詰まったような、確かな焦燥を滲ませたリアムの声にアリアは反射的に扉の方角を振り返る。そして、見てしまった。僅かに開いた扉の隙間から第三者の銃口が静かに此方を狙っているのを、確かに捉えてしまった。
「…っ!」
戦場で何度も向けられてきた、そして自分が今まさに向けていた本物の殺気。何十回と体験しても決して慣れることのない絶対零度の感覚に体は焦りを示し、それとは裏腹に心は何処までも冷静だった。
アリアの傷は既に治り始めもう血は流れていない。これから新しく傷を作っていては対処は間に合わないだろう。だがリアムからの支援も絶望的だ。今、リアムとアリアは距離が離れている。そして離れた場所に防御障壁を展開するのはかなりの高等技術。
(どう、すれば…)
焦りからかアリアの体は動かない。それでも冷血なその狙撃手は、やはり冷徹に引き金を引いた。直後に響いた発砲音。それとほぼ同時にアリアの体に衝撃が走る。その衝撃がリアムに突き飛ばされたことによるものだと気付いた時には、もう何もかもが遅かった。
「…りあ、む?」
視界に移った光景。最愛の人が自分を庇い、血を流す光景。
「…だい、じょうぶだ、アリア。少ししたら、治る。だから…」
被弾し、流血し、痛みに耐え、それでも自分を一番に気にかけてくれている光景。そんな光景を直視したアリアは。
「…なん、で?」
ポツリと独り言のように呟いた。
何故、リアムが傷付いているのか。
何故、彼処にいるのが自分ではないのか。
何故、リアムが痛みに耐えなくてはいけないのか。何故、何故、何故。
「…どう、して?」
その光景、その疑問を目の当たりにしたアリアは嗚咽混じりに続ける。
「…そっ、か。みんな、みんな、死んじゃえばいいんだ。リアムを傷付ける、こんな世界、壊しちゃえば、いいんだ」
決壊寸前で保たれていたアリアの理性は、今この瞬間に、脆く儚く崩れ去った。
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