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第三話
対戦はJJの勝利に終わった。ESTも健闘して5ポイント差まで詰めたものの、そこでタイムアウトになった。どちらもこの辺では知られたクランだが、中心メンバーは特に強い。
TeRura‐JJとGanna_ESTはランキング保有者である。『CHAOS』だけでなく、関東圏では知られたプレイヤーだ。
単語の選択から連携に無駄がない。敵が繰り出す単語を逆手に取ったり、相乗効果を発揮する単語を被せたりするには、ただ単語を列挙するだけでは意味がない。
「あのう」
相手が放った単語が具現化した瞬間にはもう、それをひっくり返す単語を返さなくてはならない。
システムが投影するよりも早く、言葉の持つ力をイメージする。
「あの、すみません」
思考に熱中していて気が付かなかった。フィールドを見つめる視界の横から顔が覗く。すまなさそうな困り顔にのぞき込まれて我に返った。
「はい?」
「すみません。ぼく、このゲーム初めてなんですけど」
「はあ」
「あなたも新参ですか」
同じ年頃の少年だった。背丈も変わらないのに妙におどおどした様子なものだから、見た目より幼く見えた。
Dレンズとネックスは付けているが、ゴーグルやマフラーはしていない。
「このゲーム、はじめたばっかりだったりします?」
「いや、初心者ってわけじゃ」
「すみません」
新参、ルーキー、初心者。笑いそうになった。私が新参者。嫌な冗談だ。
ホオリが違うと答えると、少年はすぐに頭を下げてきた。すみません、間違えましたと、すっかり恐縮している。何が彼を過剰にさせるのか。
「べつに、大丈夫ですから」つられて自分も敬語になる。「見た目じゃわからないもの」
「あの、そうなんです」少年は何度も頷いた。「ぼく、今月からはじめたんですけど、ルールとかまだ覚えきれてなくて」
所在なさげに視線を泳がせているところや、両の手指を絡めたり離したりしているところが初々しい。本当にはじめたばかりのプレイヤーなのだと思った。
いきなり話しかけられて驚いたが、悪いやつではなさそうだ。
「プレイはしてみた?」ホオリが言った。
「1回だけ。でも一人じゃ全然うまくいかなくて。誰か一緒にプレイしてくれないかなあって」
「掲示板は覗いてみた? クランのメンバー募集とか、結構あるよ」
「ああいうの、もうルール知ってる人たちが集まってるじゃないですか」
「たしかに」
どんなゲームでもそうだ。完璧にルールを覚えたところで、実際にプレイしてみるまでどうなるかはわからない。身体能力と言語のセンスを要求されるLVだったらなおさらである。
それに、LVのルールは至極簡単だった。習うより慣れよ。早く上達したいなら、ルール説明や解説動画を漁るより、さっさとプレイしたほうがいい。
「一緒にやってみる?」
自然に誘っていた。出会いやセックス目的でこの場に来る者もいるが、少年からはそんな気配は感じられなかった。誰もいない廃屋で二人きりになったり、住所を教えたりしなければいいだろう。
「いいんですか」
案の定、少年は嬉しそうに顔を綻ばせた。とびきりの美少年というわけでも、不細工というわけでもない。背はホオリより少し高いくらいで体型は普通だ。なんの特徴もない一〇代の男子という風貌だが、人を惹きつけるものがあった。
体力と語彙があればいいプレイヤーになるかもしれない。
「いいよ。私もいまフリーだし」
「フリー?」
「クランとかコンビとか、組んでないって意味」
「そうなんですね」
「じゃあ、決まりね」
「はい。よろしくお願いします」
初心な子だな。いくつなんだろう。丁寧に腰を折って頭を下げて、今どき珍しいタイプだ。
「敬語とかいらないよ。私たち、あんまり変わんないでしょ」
「はい、あの。そうだね」
「そうそう」
「あの、なんて呼んだらいいのかな」
「うん?」
「名前」
名前。この場合はアカウントを指す。実際に会ってプレイするゲームとはいえ、本名を晒すやつはいない。警察や自治体は手が回らないからと見逃しているとはいえ、夜な夜な廃墟で遊ぶ未成年を、いつ捕まえに来るかわかったものではない。
LVでは、ほとんどの連中がゴーグルや帽子で素顔を隠す。みんな身元を探られたくないのだ。名前を聞かれて本名を答えるやつは馬鹿だ。
だが、ホオリには別の意味で懸念があった。
アカウント名を告げて、何か思われたらどうしよう。
噂を知っているやつだったらどうしよう。
せっかく頼ってきてくれたのに。
自分は結局一人でやっていくしかないのか。
「ぼくは、架生と言います」
少年は深々と頭を下げた。また敬語である。にこにこと、人懐こい笑顔でこちらを見ている。
「なにそれ、本名?」ホオリが尋ねる。
「はい。担架の架に生まれると書きます。あ、下の名前は」
「ストップ。ダメだって、本名言っちゃ」
ホオリは慌てて少年を止めた。少年は目を丸くしている。呆れたやつだ。LVどころか、オンラインゲームも初体験なのか? ホオリは少年に、本名は名乗るリスクを説明した。
「遺棄区画って基本、立入禁止だからさ。ここまで来ればいいんだけど、入り口には防犯カメラ付いてるし。ていうか、街中移動してくるでしょ? そこら中にあるんだよ、カメラ」
「そうか。それもそうだね。じゃあ、みんな何で呼び合ってるの?」
「ゲーム用のアカウント。プレイヤーネーム」
「なるほどお」
「呑気ねえ」
やはり初心者なのだろうか。この歳で珍しいが、ゲームというもの自体、あまりやったことがないタイプなのかもしれない。
懐かしい感覚だ。自分も昔はそうだった。さすがにゲーム内で本名を名乗ることはなかったが、最初はルールも雰囲気もわからなかった。
シエルと必死になってルールを覚えて、何度も練習した。
二人で、二人きりで、いつも一緒だった。
「あのう」
架生に呼ばれ、我に返る。そこにシエルの面影はない。あるのは怪訝な表情を浮かべる少年と、仮初に上書きされた街の姿だ。
「ごめん」ホオリはわざとらしく肩をすくめた。「じゃあ、まずは基本からね」
「うん」
「フィールドにカメラをつなげて」
二人はDレンズに移される画面をタップして、フィールドにいるプレイヤーにカメラをつなげた。他人の視界と自分の視界が同期する。
「さっきやってたのはクラン戦。チーム同士のバトルね。いまから始まるのは個人戦。バトロワ形式だよ」
「これ、前にプレイしたやつだ。全然勝てなくて最下位だったけど」
「レベルのレンジは確認した?」
「うん。レベル1から10ってレンジだった」
おそらく、レベル一桁のプレイヤーは数えるほどしかいなかったはずだ。個人戦は6人から12人まで参加ができる。最大人数が参加していたとしても、レベル一桁は2、3人いる程度だろう。初心者であるほど力の差が出やすく、狩られやすいのはどのゲームも同じだ。
「最初は友達と一緒に、練習エリアで練習してから試合するからね」
「そっかあ。先に仲間を作るべきだったなあ」
フィールドを見つめながら架生がため息をついた。
LVから通信が入る。LVのゲーム画面はさまざまな情報が表示される。右下には方角と位置を示した表示がある。自分は赤い点で、他プレイヤーは白い点で示される。カメラをつなげたプレイヤーは、フィールドの西側に立っていた。
「バトロワ形式だから、手あたり次第に相手を倒して、一番最初に20ポイント稼いだ人が勝ちってルール」
「みんなすごく動きが早かった。ぼくも走るのは好きだけど」
「制限時間があるからね」ユージンが個人戦の開始1分前を告げる。「ちなみに制限時間は10分。誰も20ポイント取らないまま時間切れになったら、その時点のスコアで順位が決まるの」
「あっちこっちから弾が飛んできたよ。避けるのも防御するのも間に合わなくてさ」
「盾が剥がれかけたやつは、めちゃめちゃ狙われるよね」
視界はプレイヤーにつないでいるので直接見ることはできないが、架生ががっくり肩を落としているのがわかった。無意識に架生に顔を向け、ほほ笑んでいる自分がいた。
〈第2ラウンド開始まで、あと20秒。試合形式はバトルロイヤルです〉
ユージンのアナウンスが入った。視界に白色で「Battle Royale」の文字が浮かび上がる。赤色の文字で「READY」と表示され、その下に数字が点滅する。
プレイヤーの緊張感が伝わってくる。筋肉が強張り、動悸が激しくなる。呼吸の間隔が狭まり、体温が上昇する。
高まり、唸り、渦を巻いて駆け巡る。
〈スタート!〉
ユージンの声と「Start」の文字が浮かぶのは同時だった。視界を同期したプレイヤーも走り出す。
〈攻撃開始。弾丸よ〉
〈防御します〉
視界同期のプレイヤーが廊下を走る。その先に別のプレイヤーを見つけるや、すぐさま攻撃態勢に入った。逃げる相手を追いながら、言葉によるコマンドを打つ。
相手の姿に視線と指先を合わせると、白い弾丸が四発飛び出した。弾は弧を描きながら相手に向かって放たれる。
「LVの超基本的な攻撃方法だよ。『弾丸』を飛ばすの」ホオリが言った。
「視界計測と指先でエイムするんだっけ」と、架生。
「そうそう。弾は自分が見ている点と、指先が重なったところに飛んでいくの」
「全然当たんないんだよな」
「最初はマジで当たんないよね。相手も動き回ってるから」
二人が言うとおり、放たれた白い弾丸は四発中、一発しか当たらなかった。追いかけていた相手は窓枠に両手を掛け、逆上がりの要領で身体を捻った。そしてあっという間に上階に逃げてしまった。
「ああ、逃げられた」架生がため息をつく。
「プレイヤーの周りには、デフォルトでシールドが張られてるの。三発食らうとシールドが剥がれて無防備な状態になるよ」
「弾丸を全部当てたら相手が倒せる?」
「うまくいけば」
すると別の声が背後から響いた。ホオリたちが気づくと同時に、プレイヤーも後ろを振り返る。ぐるりと反転した視界の中で、第三のプレイヤーが姿を現す。
〈植木鉢に刺した人魚の鱗は、月光を浴びて低画質な光景を無限に繰り返す〉
背後から現れたプレイヤーが言葉を紡ぐ。視界を同期したプレイヤーもすぐさま応戦する。
〈暗雲の不安が立ち込めて、去来する無垢な胎児の大軍を覆いたりき〉
地面から樹が生えてきたと思ったら、幹がひび割れて魚の鱗に変化していく。青白い光がきらめくそれが、一斉にこちらに飛びかかろうとしている。
だが、真黒な雲が辺りを包む。黒雲の隙間には、赤黒い肌をした胎児たちが潜んでいた。目蓋すら開かない赤子たちは、鱗が飛んでくる前にそれらを捉え、食らっていった。
「これこれ」架生が興奮した様子で言った。「LVと言ったらこれだよね」
「うん。このゲームの特徴だね。銃や剣で戦うゲームは他にもあるけどさ」
「言葉で戦うゲーム」
こちらの言葉も相手の言葉も、すべて映像と音声で具現化する。ホオリだけでなく、ゲームに参加しているすべてのプレイヤーが、きらめく鱗やグロテスクな胎児の肌を見ていた。月光が降り注ぐ音も、黒い雲が広がる音も、しっかりと聞こえている。
〈鉢のある窓を開けるスズメバチの群れの羽音はまるで泣き潰れる王女に似たり。人魚が肉を食らい、嬰児殺しの完成、不死の妙薬を捧げまつる〉
〈雲は雨を降らし霧を呼び起こし給えり。腐った果樹の園の匂い立つ腐臭が来たるは除虫の煙、ジュラルミンの乙女、反転する太陽〉
プレイヤーは戦闘区域であるビル群の中庭に移動していた。システムが上書きした芝生の上に、二階ほどの高さがある植木鉢が出現する。
鉢の中には花のない草が植えられていた。相手プレイヤーが言葉を紡ぐと、巨大な葉の陰からスズメバチの群れが姿を現した。ぶんぶんと嫌な羽音を立てたそれが、こちらに向かってくる。
本能的に嫌悪を感じる音だが、こちらのプレイヤーは一歩も引かない。すぐさま対抗する言葉を発した。
先ほどの黒雲から雨を降らせる。地面に滴る雨は瞬く間に霧状に変化する。どうやら殺虫力のある霧として発現させたらしい。スズメバチたちの羽音が乱れたかと思うと、ぼとぼとと落下していく。スズメバチは地面の上でひっくり返り、足を四方八方に震えさせたかと思うと、ぴたりと動きを止め、消えた。
相手プレイヤーの悔しそうな顔が見えた。
「ランドサット・ヴィジョンは言葉と言葉をぶつける」ホオリが言った。架生からの返事はないが、こちらに耳を傾けているのが気配でわかった。「このゲームでは言葉が具現化する。プレイヤーが発した言語をシステムが読み取り、映像と音声に変換する」
「ただ言葉を並べればいいってわけでもないんだよね」
「そう。相手が言った言葉はこちらを弱らせたり、拘束したりするものだからね。それに対抗する言葉を言わないと」
「みんな、どうやってるのかな」
「うーん、たとえば今なら、敵は植木鉢から生えてくるもの、生えてくるのは鱗って風につないだんだよね。月の光でパワーを上積みしたんだろうけど、こっちのプレイヤーは月から空を連想して雲を作った」
「そうか。それで暗雲。月光を遮ったんだ」
「そうそう」
架生は仕組みの基本がわかって嬉しそうだった。LVは言葉のイメージと連想がすべてだ。それさえわかれば、あとは自分次第とも言えるし、そこがわからなければ何をやっても無駄とも言える。
架生は興奮した様子で、自分なりの見解を述べた。
「ちょうど二人とも屋外に出たし、敵はスズメバチを具現化した。それで赤ん坊の大軍をビビらせようとしたんだな。でも、こっちは雨から霧を発生させて、虫を弱らせた。ああ、除虫って言ってたもんな。虫除けスプレー的な?」
「よく聞いてるじゃーん」
「いい感じ?」
「いい感じ、いい感じ」
「わかってくると、やっぱり面白いね」
視界を同期している間は周りの風景は見えない。だが、ホオリと架生は自然と見つめ合っていた。Dレンズ越しに架生の視線を感じた。
「鉢とハチを掛けたのかもね」
「え、そんなギャグみたいなのでもいいの」
「結構大事だよ。韻を踏むと相乗効果が出ることあるんだ」
「なるほどお」
LVにおける言葉のやり取りに、会話や伝達といった機能はない。お互いの感情を伝えたり、状況や状態を表現したりする必要がないからだ。
だが、ただ単語を並べ立てればいいというわけでもない。単語は連携し、連鎖し、次の動作……攻撃や防御につなげるのがルールだ。
工業製品の部品のようなものだ。システム・エンジニアが打ち込むコードにも似ている。それひとつでは何の意味も成さないが、組み合わせることではじめて機能する。
「このゲームを作った人、よくこんなこと思いついたよね」架生は半ば感心して、半ば呆れていた。
「でも、こういう言葉遊びっていうの? 昔からあったらしいよ」と、ホオリ。
「うっそ、マジで」
「うん。音楽のラップとか、日本だと連歌ってのがあるよね」
「なんか、聞いたことある。よくは知らないけど」
「私もネットで聞いただけ」
二人のプレイヤーの対戦は、こちら側のプレイヤーの勝利で終わった。相手はこちらの言葉をひっくり返せず、返り討ちに合う。雲の陰に紛れて至近距離に立たれ、弾丸に撃ち抜かれた。
「盾を壊されて、直接攻撃を受けたら1キル取られたことになる。取ったほうにはポイントが入るよ」
盾は一定時間が経過すると回復する。視界に表示されたゲージがそれを現していた。
盾を失った状態のプレイヤーを追い込むことはできない。キルを取られたプレイヤーが回復している時間に何をしても、ダメージは入らない。
「これがLVの超基本のキね。それからエリアのことなんだけど」
ホオリと架生は視界の同期を外した。ここからはエリアやフィールドについての説明だ。
「フロイ?」
背後から声がした。背中に緊張が走る。直接呼ばれるのはいつぶりだろう。
「フロイ、だよな?」
後ろを振り向くと黒髪に野球帽と黒ぶち眼鏡をかけた少年の姿があった。困惑した表情でこちらを見つめている。
「ハァイ。スピじゃん、久しぶり。元気?」
「お前、どうして来たんだよ」
スピと呼ばれた少年は足早に近づくと、困ったような怒ったような表情でホオリを呼んだ。
どうしよう。いや、今更考えたところでどうなるわけでもない。
考えて考えて考えて考えて、ここに来た。
結局、答えはここにしかない。
ランドサット・ヴィジョンに。
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