4:小説(創作)に対するスタンス

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4:小説(創作)に対するスタンス

こんにちは! 冷瑞葵です。 寒いですね~。足がしもやけで痛いです。 さて、今回は、私の小説(創作)に対する意識についてつらつらと書きます。先に言っておくと、こじらせてます。 スタンスって悩みの種になりがちですよね。ね? まずは、作家志望なのか、趣味で活動しているのかを明示するのがいいでしょう。 私は後者です。本業は別で、(あわよくばお金にもなったら嬉しいけど)基本的には財布じゃなくて心を潤すため、活動しています。 ……このスタンスがやや厄介で、「趣味だから必要以上の出来を求めてはいけない」という潜在意識が諸々の質向上を妨げている気がします。 以前のエッセイ(https://estar.jp/novels/25879762)にあるように、「いっそのこと、表現者として生きる道を選んでくれたらよかったのに。その単純な欲求(承認欲求等)を突き詰めようと、決心してくれたらよかったのに。」とも思っています。 「趣味で書いている」という自己紹介文が書けない。 そもそも私が小説を書くのは、2ページで言ったように、物語を書く手段として最も現実的だからです。 これも厄介なスタンスで、近頃、「私は小説を書きたいんじゃない! 物語を書きたいんだ!」という意識が――あるいは自己暗示が――強くなってきました。 「小説を書きます」というのを「創作します」という言い方に直したり、「字書き」よりは「物書き」かなって思ったり。 さらに厄介なことに、最近は一周回って、それが本当に正しいのか悩み始めています。 私が描きたい物語は、(台本)なのだろうか。空間(小説)なのだろうか。 小説好きを名乗れるほどではなくとも、人並みに読書する時期はありました。そのとき読んだようなものを目指すのではなかったか。 しかし小説であろうとしすぎて物語が進まなくなると本末転倒なわけで(経験済み)。そう考えると、確かに「書きたいのは物語」かもしれません。 いやぁ、難しい。 他にも色々思う部分はありますが、文字数が足りません。 最後に一つだけ。 作者は作品を愛し、理解しなきゃいけないんだろうなって最近思います。 ――たとえ誰にも愛されていなくても。 ――たとえ大勢に愛されていても。 私は愛せているだろうか。 ……何より一番厄介なのは、悩みがちなこの性格です。 p.s. エッセイが楽しすぎてほぼ毎日更新のようですが、こちら毎日更新する予定はないです。これからは少し更新頻度を下げます。
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