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5:創作の目的と隙自語
こんばんは~。冷瑞葵です。
今回は、先ほどふと思ったことの覚え書き(+自分語り)です。
「私は免罪符を得るために創作しているのかもしれない」
執筆を始めた経緯は以前書きましたが、「何のために創作する?」という問いの答えは、必ずしも「空想を形にするため」ではないなと常々思ってきました。
しかし、代わりの答えはわからなかった。
「連載を完結させなきゃ」というのも続けている大きな理由ではありますが、それなら他の短編などに手を出す理由はないわけで。
私に、創作をする積極的な理由はあるのか?
あるとしたらなんだ?
……というのは、例によって悩みの種でした。
承認欲求も理由のひとつです。
でも私、自称ですが詐欺師症候群で、高く評価されると詐欺している感覚に苛まれてしまうのです。
(面倒なことに、褒められないと自分をなかなか認められない性質でもあるので、遠慮せず評価してやってください(媚び)。)
だから承認欲求が一番の動機とは考えにくいです。
表現欲も自分の中に存在はしますが、それだけなら手段が物語である必要性はないですよね。
絵とか、歌とか、好きなことは他にもあるので、方法はいくらでもある。
小説が一番手軽だったというのはありますが、これは積極的な理由にはなりません。
「理想を描くため」というのは……中長編なら多少あっても、全体的に大きなウェイトはないかな。
こんな調子で、色々理由を考えては否定してきました。
それでは、「免罪符を得るため」について。
……ここで自分語りが入るのですが、私は比較的、広く垣根なく勉強に取り組んできました。これは自慢のひとつでもあります。
ただこれは、「特にこだわりもなく、言われるがままだった」とも言えて、目標がないことの裏返しです。その意味では、負い目のひとつでもあります。
また、私は色々な場面でいちいち悩んできました。(もちろん私に限らずみんな悩んでるんでしょうけど。)
そんな自分が嫌になることもありますが、得るものもあるので、悩み症を治したくはありません。
私、これまでに得たものを昇華することで、改めて人生の価値を証明しようとしているのではないか?
その手段が「物語の創作」なのではないか?
すなわち、私が持ってるものを創作に活かすことで、人生に免罪符を得ようとしているのではないか?
……という話です。
書いてて思ったけど、結構一般的なのかな。
本当に目的が達成されてるかという課題は次回に回します。
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