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ベッドに身を潜り込ませた矯子を見守る様に、小百合はその脇の椅子に腰掛けている。
「そうなさっているだけでは、退屈でしょう。あたしなら一人でも構わないから」
布団から頭を出した矯子の顔を、小百合が覗き込む。
「矯子さんに何かあれば、わたくしも気が気ではありませんもの。それに、わたくしは好きでこうしておりますの。どうか、わたくしの事はお気になさらず、ゆっくりとお休みになって」
そう言われようと、こちらが落ち着かないのである。
矯子がよろよろと上半身を起こすと、額の氷嚢がずり落ちそうになって、慌てて小百合がそれを受け止めた。
何と甲斐甲斐しく、忠実な事だろう。
動きやすいように結い上げられた髪に、たすき掛けのされた着物の袖。
世が世なら、やんごとない身分の姫君として誰からも尊ばれるべきひとが。
真白く嫋やかな伯爵令嬢の手を煩わせていると思えば、気が咎める。
「こんな事をしても、あなたの益になる様な事は何一つ無いのよ。看病は女中に任せて、あなたは有閑夫人らしく悠々自適にお過ごしになればよろしいのに」
「また、そんな事を仰って」
「本当よ。あたしなんて、いてもいなくても変わらない人間だし―――死んだ方が良いとさえ言われたんだから」
それまで鷹揚に細められていた小百合の目が、突如として鋭く見開かれた。
「―――誰が、いつ、その様な事を矯子さんに言いましたの」
普段のおっとりとした彼女からは想像もできないほど、小百合は低い声で問う。
気の緩みから、うっかりそんな事を口走った事を今になって悔いる。
けれど、小百合は矯子が答えるまで、追求の手を緩めようとはしないだろう。
矯子は布団を固く握り締めた拳に視線を落とし、答えた。
「……叔母よ。父の妹なの。もう先、子供の時に」
母を喪って、間もない頃だった。
自分でも病に苦しめられつつ、それでも一途に矯子へ愛を注いでくれた母はもういない。
矯子を抱き締めてくれる事も、咳き込んだ時に優しく背中をさすってくれる事も無い。
周囲から教えられた通りにそれを理解しようと思っても、幼い矯子はどうしてもその面影を恋うてしまう。
「おかあさま、おかあさま」
一人きりの寝室、ベッドの中で身を縮めて、矯子は涙ながらに母を呼んだ。
妻を亡くそうと、仕事に追われるばかりだった父が娘に時間を割ける筈が無い。
一人ぼっちで泣きじゃくる矯子に寄り添ってくれる相手なんて、居はしなかった。
神様なんて、この世にいるものか。
あれほど自分を愛してくれた優しい母の命を奪われてから、矯子はそう思い始めた。
ただ、もう一度だけ母に会いたかった。
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