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いつもの様に熱を出して寝込んでいた、とある昼下がりの事だった。
ふうふう荒い息を吐きながら、矯子は歪む天井を眺めていた。
こんな時に母がいれば、矯子の頭をそっと撫でて、いたわりに満ちた言葉を掛けてくれるのに。
その時、部屋の外を女性のものらしい軽やかな足音が、コツコツと通り過ぎていった。
おかあさまだわ。
身罷った母が矯子の元に姿を見せてくれる訳が無いのだが、熱に浮かされた矯子は目の前に垂らされた希望の糸にすがりついていた。
ひたひたと素早くその後を着いていくのは、女中の草履の足音らしかった。
矯子はベッドを下りると、素早く部屋を飛び出して彼らの後を追った。
二人の女性の足音は廊下の角に消え、母の私室の中に入っていく気配がした。
ああ、やっぱりおかあさまだ。
矯子はもういても立ってもいられず、ふらつく身を引きずってドアを開けようとした。
「おかあさま―――」
けれど、そこにいたのは母ではなく、派手な洋装に身を包んだ女性だった。
矯子のいる方に背を向け、忙しなく箪笥の中を漁っている。
室内は母の葬儀の後も、何もかもが手つかずの状態で残されていた。
真っ赤な爪紅を塗りたくった指先が、ずるりと真珠の首飾りを引きずり出すのが見えた。
「へえ、義姉さんも結構良い物を持っていたんじゃないの」
叔母はそう鼻をしゃくるように笑うと、母の髪飾りや宝石類、着物の類いに至るまで、取りだした物をベッドの上に乱雑に放り投げていく。
言われるがまま彼女を母の部屋に案内する他無かったであろう女中が、おずおずと申し出る。
「あの、奥様の形見の品を持って行かれれば、旦那様が何と仰るか……」
「兄さんが?妹の私のする事に、あの人は口を出しやしないわよ。それに、義姉さんが死んだ以上、この家にとっては無用の長物じゃないの」
矯子は言葉を奪われて、ドアの隙間から覗く目の前の光景に釘付けにされていた。
「ですが、矯子お嬢様が大人になればお使いになるかもしれません」
「矯子?あの子が?」
叔母の嘲る様な笑みが、一層深くなる。
「あんな虚弱な子、それまで生きていられるか分かったものではないわ。いっそ、潔く死んでくれれば良いものを。そうすれば、この家の財産はうちの息子達に渡るんだもの」
音が、視界が、徐々に遠のいていく。
その言葉で、終わりの無い奈落の底へと突き落とされた。
それから自分がどうやって自室に戻ったのかもよくは覚えていない。
この世で誰一人として、自分を必要としてくれる人はいないのだ。
だから、おかあさまも矯子を置いていってしまわれたの?
叔母の言葉以上に、頭に浮かんだその考えが矯子の心を抉った。
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