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生まれて初めて、誰かの為に声を荒らげた。
その事実に、矯子自身驚かずにはいられなかった。
だが、普段は無愛想に黙りこくっている姪に口答えされた叔母は、たちまち色をなす。
白粉を塗り重ねた肌を真っ赤に染め、勢いよくソファから立ち上がる。
「本当に可愛げの無い子!役立たずの分際で、平気な顔をして生きながらえて。何様のつもりなの、一体」
矯子の身を、再び怯えが貫いた。
子供の頃に感じたのと何一つ変わらない、あの恐怖が。
矯子が目を伏せて畏縮したのを皮切りに、叔母の声には矯子を嘲笑う響きが宿る。
「その生まれ損なった体でいつまで生きていられるか、考えただけで滑稽だわ。あなたの母親だって、三十の歳を迎えずに死んだのだもの。矯子さんも、いつお迎えが来るか―――」
その時、音高い響きが叔母の呪言を遮った。
矯子が勇を鼓して、目を上げれば―――小百合が真白い腕を上げて、叔母の頬を容赦無く打ったのである。
「それ以上矯子さんを侮辱すれば、わたくし何をするか分かりませんことよ」
今までに見た事が無いほど冷酷な表情で、小百合は叔母に対する。
その端正な顔は、微笑めば大理石の聖母の如く清らかに美しい。
けれど、無情に目を細めた表情は、愚かな人間に罰を下す女神の様におそろしかった。
端で見ている矯子でさえ、震え上がってしまったほどだ。
温和な伯爵令嬢に手を上げられたという事実と相まって、それは瞬く間に叔母を凍り付かせた。
また一歩小百合が近づくと、ひっと喉の奥からか細い悲鳴を上げる。
小百合はいつも通りの洗練された仕草で、ドアを指し示した。
「どうぞ、お帰り遊ばせ。貴女の存在が、矯子さんの御体には一番よろしくないと存じますから」
湧き上がる軽蔑を隠そうともしない小百合に言われるまでも無く、叔母はソファの上からハンドバッグを取り上げ、部屋を立ち去る。
「覚えていらっしゃいよ……!」
去り際、憎々しげに呟いた叔母には見向きもせず、小百合は呆然と立ち尽くしている継子にやさしい声を掛けた。
「矯子さん」
先ほどとは別人とさえ思える、その慈悲深き笑み。
一体、どちらが本当の小百合なのか、矯子は惑った。
そんな矯子を、小百合の情けに満ち満ちた抱擁が包む。
「何があろうとも、わたくしが矯子さんを御守りいたしますわ。わたくしは、神に誓って矯子さんの母ですもの」
耳に触れるは、聖なる福音。
黒髪から匂い立つは、百合の清香。
その香りにうっとりと酔う心地さえしながら、矯子は思う。
たとえ、小百合の聖母としての姿が偽りであったとしても―――矯子の母たろうとする気持ちだけは、真であると。
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