白百合 来タル

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彼女を知らざれば女学生にあらず、と生徒達の間でその名が絶えず囁き交わされていた程、女学校での真宮小百合はどこへ行こうと羨望がつきまとっていた。 由緒正しい公家華族の家柄、(けが)れを知らない清純無垢な美貌のみを(もっ)てしても、彼女が校内の憧憬(どうけい)の的となるのは容易い事だったろう。 けれど、夢見がちな女学生達の支持を絶対にしたのは、何と云ってもその聖母の如き慈悲深さ―――握り締めた銀の十字架(ロザリオ)がその象徴として、有明の星の様に(きら)めいていた。 「本当に、マリア様みたいでいらして……私、自分のお祈りするのも忘れて見入ってしまったわ」 そんな不信心な告白をするのは、クリスチャンの母に伴われ、小百合と同じカトリックの教会のミサに日曜(ごと)に通う(なにがし)の君である。 処女雪の白きヴェールをその御髪(みぐし)(まと)い、臈長(ろうた)けた瞳を半ば閉じて、十字架握りし指を無心に組みて(ひざまず)いた姿は―――何を祈れるか。 神聖にして(おか)すを許されぬその祈りよ、蝋燭(ろうそく)の灯火仄暗い御堂(みどう)の中で、某の君はその(つつ)ましやかな姿に、聖母(マリア)の円光をしかと目の当たりにしたという。 神の恩寵(おんちょう)の存在を(いや)が応にも認めざるを得ない小百合の気高さは、頭の固い無神論者をして天の奇蹟を(おの)ずと信じさせるに足ろう、と彼女は鹿爪らしくその言葉を締めくくった。 本名とも縁深い「白百合様」と聖母の御霊(みたま)の地に咲ける如しその花の名で、誰とはなしに彼女を呼び慣わす様になったのもそれ(ゆえ)であった。 彼女が廊下をそぞろ歩けば讃美の視線を(ほしいまま)にし、誰かがその名を校内で口にすれば乙女達の懊悩(おうのう)の溜息止まず、という有様であった。 当然の様に、学年の別け(へだ)て無く彼女の崇拝者は後を絶たなかった。 食べる事に目が無く、そのふくよかさで親しまれていた上級の方は、告げられぬ想いに身を焦がすあまりに食事も喉を通らず、御卒業の折には蚊蜻蛉(かとんぼ)の様に痩せてしまわれたとか。 校内一の女流作家と持て(はや)されたある下級生は、如何(いか)なる花の色香も及ばぬ白百合のげにも清らなる事よ、嗚呼慕わしのお姉様―――と思いの丈の抒情詩を愛読する少女雑誌に送り、それが流行画家の挿絵付きで掲載されたというので大騒ぎ。 だが、(たちま)ち先生方の知れる所となり、大目玉を頂いたと云う。 こんな挿話(エピソード)の数々も生まれる程の熱烈な信者に囲まれようと、小百合は来る者拒まずと恵みの微笑みを陽射しの如く皆に浴びせ(たも)うた。 けれども、クラスの誰彼が彼女を讃美しようと―――矯子一人のみはそのお取り巻きに加わる気にはなれなかった。 人間離れ、と言っても良い程の小百合の善良さは、矯子に敬服の念よりも言い様の無い気味の悪さを抱かせた。 これほどまでに()い人間が、いるものか。 幼い頃から病気がちで、それが由来してか「つむじ曲がりの碓氷(うすい)さん」と呼ばれる程の神経質で扱いづらい矯子の気性がそうさせるのかもしれないが――― 「あの方、私達なぞには手の届かぬ高嶺(たかね)の花だわ」と同級生の誰かが嘆いていた。 なる程、憧れの有無を抜きにすれば、小百合は矯子にとっても近寄りがたい高嶺の白百合だったろう。 人分け入らぬ深山(みやま)の奥、険しい岩陰に楚々(そそ)と咲ける白百合―――迂闊(うかつ)手折(たお)ろうと足を踏み外し、奈落の底に落ちた()れ者を見下ろして、その時聖母は初めて魔女(リリス)の本性をあらわにするのだ、と。 自分だけはその上辺(うわべ)に惑わされるものか、と矯子は破れぬ心誓文(こころぜいもん)をいつからか立てていた。
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