白百合 来タル

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白百合様が結婚を理由に女学校をお辞めになる、という号外が校内に出回った時の生徒達のどよめきたるや、推して知るべしだろう。 あわれ、高嶺の白百合も人()る園にのみ、あえかな花咲かせる定めになるとは――― 崇拝の人々が悲憤慷慨(ひふんこうがい)する一方、口さがない生徒達は御家の事情こそが小百合をこの結婚に追い込んだのだと噂しあっていた。 土地や財産を持たない公家華族の中には、家柄こそあれど名ばかりで、その実情は赤貧洗うが如しである者も多いという―――真宮伯爵家も例外ではないと、少し前から囁かれていたのだ。 富める金満家との縁故を目的とした没落華族令嬢の結婚なぞ、三文小説にもならないくらい(ちまた)に有りふれている。 しかし、狂乱の騒ぎを余所目(よそめ)に、矯子は人知れずそれに安堵(あんど)していた。 もう二度と、あの冴え渡った聖母の微笑みを見ずとも良いと思えば、心(おだ)やかに学校生活を送れると思っていた。 その小百合が他でも無い我が家に―――矯子の母としてやって来る事になろうとは、誰が想像できたか。 結婚式は小百合の宗旨に合わせてカトリックの教会で、十月の半ばに催される事になったが、それに先駆けて彼女は一足早く碓氷家に迎え入れ(?)られたのだ。 「おはよう、矯子さん。……よくお眠りになれて?」 白百合は高嶺に生うる頃より、花園にある今となって、尚清らかに、尚美しく咲き誇るようだ。 夏休みも明けて二学期の始業式もあるという朝、矯子が自室のベッドで目を覚ますと、身仕舞いを手伝う為と小百合がやって来た。 女学生らしく真白きリボン飾っていた黒髪は良家の若奥様らしく結い上げられ、制服のセーラーの襟の代わりに、レースの縁飾りの付いたエプロンの裾を朝風に吹かせている。 寝起きの低血圧により、修学旅行では同室の人に「不貞腐(ふてくさ)れた様なお顔つき」と揶揄(やゆ)された事もある矯子のしかめっ面だが、今、その眉間の(しわ)がさらに深くなった。 そんな事もどこ吹く風と、小百合は手際よく、矯子の癖が無くて硬い髪をおさげに編んでいく。 頭に血が巡らない物憂(ものう)さで、追い払う気にもなれなかった。 身を屈めて、矯子の起伏の少ない胸元に心持ちその匂いやかな顔を寄せる様にして、甲斐甲斐しくセーラーのスカーフを結ぶ小百合を見下ろす矯子の目が(いぶか)しげに(すが)められる。 本当に何を考えていれば、この間まで自分が身に(まと)っていたのと同じ、乙女の春を(かたど)ったセーラーを、顔色一つ変えずに矯子に着せられるのか――― 一代で財を成した父が建てた、モダンな洋風建築の邸宅のひとつ屋根の下で彼女と暮らして二週間近くになるが、聖母の御胸(みむね)の内は未だ見透かせない。
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