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教室に足を踏み入れた瞬間、少女達の物見高い視線が申し合わせた如く一斉に矯子へと浴びせられる。
何とも名伏しがたい間の悪さを、矯子は嫌と言う程味わわされた。
小百合も毎朝こうして登校する度に、こんな罰の悪い思いをしていたのだろうか―――だが、方や羨望の目、方や奇異の目である。
じろじろと絡みつく少女達の眼差しを振り払う様に、矯子は窓際に据えられた自分の席へと歩を進めた。
少女達はそれぞれ仲良しとのお喋りに興じる体を装いつつも、その囁きに混じる好奇と悪意は隠し切れない。
若い女のそれ程、陰口と噂話に適している声も無かろう。
「……結納金がねえ、五千円なんですってよ」
「まあ、五千円?それで伯爵ご夫妻も白百合様をお嫁にやるのを承知なさったのね」
「まるで菊池寛の『真珠夫人』の様じゃあ、ありませんか」
「白百合様、お気の毒だわ」
一々腹を立てるのも煩わしかった。
だが、彼女らがこうして沸き立つのも無理はあるまい。
名門華族の令嬢が父親ほども年の離れた実業家の男に嫁ぐという特種を入手して、新聞や週刊誌は挙ってこれを面白おかしく取り上げた。
曰く、成り上がり者に金で買われたる花嫁と。
矯子の父、賢一は世間的に見れば成金と呼ばれる類いの人間である。
父は貿易会社を経営しており、大正三年からの欧州大戦による好景気でその収益を飛躍的に伸ばし、財界でもその名を知られた存在であった。
その勢いたるや、船の上げ潮に乗る如く―――ただ一人の娘の矯子を、華族の姫君方も通う名門の女学校へと通わせるまでとなった。
矯子自身は、表面では品の良さを装いつつも、どこか互いを値踏みし合う様な上流階級のそれがそのままに漂う女学校の空気が好きになれなかったのだけれど。
暗闇で靴を探す為と称して百円札に火を付けたり、これ見よがしに金剛石の指輪を光らせる様な浅ましい真似なぞ、父は終ぞしてみせない。
矯子の目から見た父は、経営者というよりもむしろ寡黙な学者と呼んだ方が似つかわしい、どこか乾いた寂寥を宿した四十路の紳士に過ぎなかった。
だが、父を知らない人々は成金という呼び名の持つ卑しい響きのみで、父という人間の全てを決めつけるのだろう。
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