白百合 来タル

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「さあ、もう一口召し上がってくださいな」 さらに差し出されたスプーンを、矯子は先程よりも抵抗無く口に含む事ができた。 舌を使って、喉の奥へと粥を送り込もうとした時―――不意に、波の様な吐き気が胃の底から突き上げてくる。 矯子はスプーンをペっと吐き出すと、湧き出る唾液を飲み込み、小百合を見上げる。 「あれ……」 ベッドの脇のテーブルには、往診にやって来る医師が手を洗う為の洗面器が置かれている。 あれを取ってくれ、と言いたいのに、口を開けたら全部戻してしまいそうだ。 口を抑えて洗面器を指さす矯子に、小百合も何事かと目をしばたかせ、傍に寄ってくる。 「あれ?矯子さん、どうなさって?」 「せんめんき―――」 言い終わらぬ内に、耐えに耐えてきた吐き気の(せき)が一気に崩壊した。 びたびたという汚らしい音と共に、口を抑えた手の隙間から、牛乳粥と胃液の混合物が止めどなく溢れてくる。 吐いても吐いても終わりが見えない様に、矯子は背を丸めて嘔吐(えず)いた。 胃の中が空っぽになっても、食道の震えは治まる事無く、うえっと内臓を吐き出そうとする様な呻きが室内にこだまする。 ようやく胸のむかつきが落ち着くと、矯子は肩で息をしながら辺りの惨状を見回す。 矯子自身の寝間着や掛け布団の汚れもさながら、一番近くで矯子の顔を覗き込んでいた小百合にも、被害は及んでいた。 純白のエプロンの胸元は一面吐瀉物に(まみ)れ、その髪や頬にさえ、点々と反吐(へど)が散らばっている。 当の小百合は、何が起こったのか分からないといった表情で、きょとんとしている。 伯爵令嬢である彼女には、他人の娘の吐瀉物を自分の身に受けるなぞ生まれて初めての経験に違いない。 よりにもよって、一番弱みを見せたくない彼女の前でこんな醜態を晒してしまうなんて。 口の中の酸っぱさが、さらに濃くなる。 羞恥が人を殺すのならば、矯子は千回だって息絶えただろう。 死ねるものなら、今度こそ死んでしまいたかった。 小百合は一体、こんな惨めな自分をどう思っているのだろうか―――その胸の内を想像しようとするだけで、耐えがたい苦痛に襲われた。 けれども、身も世も無い羞恥と共に、ざまあみさらせとでも言いたいような小気味よい気持ちがあった。 聖母(マリア)様だの白百合様だの崇められている小百合だって、いきなりこんな真似をされては黙っていられない筈だ。 汚らしいと蔑んだ眼差しで矯子を見下ろすか、それともヒステリックに怒鳴り散らすか。 どちらにせよ、聖母の化けの皮を剥がしてやれる事がこの上なく愉快だった。 矯子は吐瀉物でまみれた口元ににやりと笑みを浮かべたくなるのを我慢しつつ、ちらりと横目で小百合を見やる。 だが―――小百合はいつも通りの、否、それより尚々慈悲深き微笑を(たた)えている。
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