白百合 来タル

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白百合 来タル

夏も()きかけの、レースのカーテンを漏れる陽射しも柔らかい八月の昼下がり。 マイセンの花瓶に生けられた紅薔薇も(かす)ませる白百合が、矯子(きょうこ)にこの上なくのどやかに微笑みかけていた。 一週間以上苦しめられた夏風邪も落ち着き、どうにか(とこ)から起きられる様になった矢先にもたらされた対面であった。 父に連れられた客間(サロン)の窓際のソファには、空色の(しゃ)の着物に夏帯を締めた淑女が腰掛けており、病み上がりでよれた浴衣がけの矯子は彼女の真向かいに座らされた。 「矯子、こちらは真宮(まみや)小百合(さゆり)さんだ。―――お前の新しいになる方だよ」 父は顔色一つ変えず、自分の隣の彼女を娘に紹介した。 思わず口に放り込んだ、表面の半ば溶けかかったチョコレートの味がしなかったのは、しつこい鼻詰まりのせいばかりでは無いだろう。 その姿を打ち見た刹那(せつな)は他人の空似か、はたまた複体(ドッペルゲンガー)(たぐ)いではあるまいか、と我が目を疑った。 けれど、忘れようと思えど忘られぬ名前を聞かされた以上、もう否定は出来ない―――真宮伯爵の息女(そくじょ)、小百合はついこの間の一学期まで矯子と同じ女学校の、同じ四年級に籍を置いていた少女である。 娘と同い年の伯爵令嬢を、長らく寡夫(やもめ)暮らしであった父は自身の妻に、(すなわ)ち矯子の継母(ままはは)に迎えようというのだ。 「ほら、ご挨拶をおし」 父にそう促されるより先に、矯子は腺病質(せんびょうしつ)な弱々しさを感じさせぬ素早さでソファから(おど)り上がっていた。 しかし、真一文字に結ばれた口から気の利いた挨拶がなされる事はなく、侮蔑をふんだんに含んだ眼差しでまず父を、次に母になるという少女を()めつける。 「御機嫌(ごきげん)よう、矯子さん」 こんな時に御機嫌の良いも悪いもあったものか―――しかし、矯子の睨みをものともせず、小百合は純白の花弁に鮮やかに映える紅の(しべ)に似た唇をほころばせている。 その清麗な聖母然とした微笑が、かつて以上に(しゃく)に触った。 「知りませんでしたわ、お父様が少女性愛の趣味を持っていらしたなんて。どうぞ勝手に遊ばせ、あたしは何があろうと、その方をお母様とは認めませんから―――絶対に!」 手にした小石を闇雲に投げつける様に、言いたい事を言いたいだけぶち()けてやったが、不満が解消される事は無い。 紅茶を運びにやって来た女中の脇をすり抜けて、矯子は父が背後から呼ぶのも構わずに部屋を飛び出していた。
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