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彼は無表情のまま、コーヒーを飲んでいる。
もう、話しかけるのはやめておこう。
彼の時間の邪魔になってはいけない。
そう思ったと同時に注文していたホットサンドが出来上がり、バイトの黒木くんが彼の元に運んでくれた。
「ごゆっくりどうぞ」
その後は私も次々とコーヒーのオーダーが入ったため、黙々とコーヒーを淹れ続けた。
コーヒーを淹れている時間だけは、余計なことを考えずに無心になれる。
豆を挽く音。
満たされる香り。
いつだってこの二つが揃えば、乱れた心も次第と落ち着きを取り戻すのだ。
それから約20分程経過した頃、食事を終えた彼が席から立ち上がった。
ふと彼を見ると、なぜか彼もその場に立ったまま私を見つめていた。
そして、目が合ってから数秒後、口を開いた。
「葉月さん」
「え、あ、はい」
「……また来ます。ごちそうさまでした」
そう言い残し、彼は颯爽とその場から離れレジの方へ向かっていった。
「……またお待ちしております」
私の声は、きっと彼には届いていない。
すぐに反応出来なかったのだ。
今まで、彼に名前を呼ばれたことなどなかったから。
そもそも、なぜ私の名前を知っているのかという疑問が一瞬浮かんだが、それは一瞬で消えた。
きっと、シャツの胸元に付けている名札を彼は目にしていたのだろう。
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