懐柔計画その一

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懐柔計画その一

 ああ、こじれてしまった。待ってましたとばかりに離婚に応じると思っていたのに、あまりに意外な反応で玲奈は頭を抱えた。なんなら明日には、身の回りのものをまとめて家を出ようと思っていたのだ。  だいたい勝手はどっちだ。いままで玲奈が(こうむ)ってきた苦痛はどうしてくれるのだ。血まで吐いたのに。玲奈に対して申し訳ないの一言もないのか。悪いのは全部陽介だ。玲奈に非は一つもない。慰謝料もいらないからとにかく別れたいのだ。  とりあえず別居とも思ったが、それでは無駄に悠人を待たせるだけだ。申し訳がたたない。  それでは調停に持ちこもうかとも思うが、陽介が女と別れてやり直したいといえば、家裁はそっちの方向で話を進めようとするだろう。しかも玲奈が応じなければ長引く。得策ではない。  それに、やつらをとっちめてやらなければどうにも気がすまない。  なにか対策を講じなければ。なんとしても離婚に応じさせる。  撮影が終わってから事務所に移動して四人は、テーブルを囲んでうーんとうなっていた。玲奈からいきさつを聞いて涼太郎はわけがわからないというし、悠人は難しい顔をしてだまりこんでしまった。 「たぶん、玲奈が自分の思い通りにならないのがおもしろくないんじゃない?」  いいだしたのは摩季だ。 「そういえば前にもなにかいってたな」  涼太郎が摩季に向く。 「一筋縄じゃいかない」 「うん、それ」 「好きな子の気をひきたくていじめちゃう小学生男子」  玲奈も悠人も涼太郎も目が点になる。 「いじめが過ぎるだろう」  涼太郎がため息をついた。 「三十にもなって……」  玲奈もため息をついた。 「あきれたな」  悠人もため息をついた。 「もう結婚したのに、なんでわざわざそんなことするの?」  玲奈が疑問を口にする。 「たぶん頼られたいのね。玲奈は相談しないで一人で決めちゃうところがあるでしょ。それが気に入らないのよ。玲奈を掌握しておきたいんだわ。身に覚えがない?」  たしかにある。結婚して東京に来てすぐ、玲奈は派遣でもいいから働こうと思った。知らない土地で一人で家にいるのはいやだったし、外に出たかったのもある。  人材派遣に登録したことを陽介に告げると、露骨に嫌な顔をした。 「金なら足りるだろ。せっかく東京に来たんだから遊んでいればいいのに」  そういわれた。玲奈はどこでもいいから働きたかったのだ。それを否定されてなんだか人柄まで否定されたような気持になった。 「家事ならちゃんとするから」  そういう問題でもなかったのだが、陽介にはわかってもらえない気がした。結局すぐに派遣先が決まり、一週間後には働きはじめたのだった。そのままこの間まで契約の更新は続いていたのだ。  それに、これはもって生まれた性分である。いまさら直せるものでもない。直すつもりもない。むしろそれ込みで玲奈という人間を受け入れてもらわなければ困る。  陽介はどういうつもりだったのだろう。そういう玲奈が好きだったのではなかったのか。 「いったん懐柔(かいじゅう)しようかな」  玲奈がいった。 「懐柔?」 「下手に出ておだてあげる。自尊心をくすぐるの。そういうことでしょ」  そういって摩季を見る。 「いま意固地になってるから、それをほぐさないと話し合いにもならない。懐柔計画その一、必殺かまってちゃん」 「なんだ、それ」  悠人と涼太郎が同時にいう。 「文字通り、ウザいくらいつきまとうのよ。陽介はそうしてほしいのよね」 「たぶん、そう」  摩季がいう。悠人のしかめっ面は見なかったことにして、玲奈は続ける。 「そうやって、うまいことこっちのペースに丸め込むのよ。そうすればあとはこっちのいいなりよ」 「なるほど。恐ろしい計画だな」 「それからほんとうに彼女と別れられたらまずいから、彼女のほうにも手をまわして」 「え? どうやって?」  なんだか話がおそろしくなりそうだ。
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