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悠人、連れ込む宣言
背後で声がした。二人はびくりと飛び上がった。険しい声におそるおそる振りかえると眉間にしわをよせた悠人が立っていた。横には涼太郎もいる。
「いつのまに……」
「見るからに怪しいだろう、二人でこそこそと」
そういうと玲奈の手からさっとクリアファイルを取り上げた。
「ふうん。離婚届と誓約書ね。これを持ってどこに乗りこむんだ」
悠人は有無をいわせない。
「ああー、家?」
「不倫相手のか」
「いや……」
「じゃあ、どこだ」
「……自分ち」
「なんで自分の家なのに乗りこむんだ」
思わぬ悠人の剣幕に玲奈は気おされる。なぜか摩季まで縮こまる。
「話せ!」
ごまかしきれないなと、玲奈はふうっと大きく息を吐いた。
「今日わたしは泊りの仕事ってことにしてあって」
「うん」
「彼女がうちに泊まりに来ることになっていて」
悠人の眉間のしわが深くなる。
「そこへ踏み込んで無理やり書かせる予定、です」
三人は、はああっと大きなため息をついた。
「なんで、こうも突拍子もないことを思いつくのか」
涼太郎は呆れる。
「いやー、さすがに現行犯では逆らえないと思って」
「これが懐柔計画の落としどころか。とんでもないやつだな、きみは」
ほめられた所業でないのはわかるが、悠人にあからさまにいわれるとさすがにへこむ。
「ごめんなさい。でも、わたしをいたぶったこと、一生の汚点にしてやるわ」
そういうと、悠人はふっと笑った。
「あやまらなくてもいい。俺も行く」
「へ?」
涼太郎も摩季も驚いて悠人を見つめた。
「そんなところに一人で行くな。頼れといっただろう。涼太郎、おまえもつきあえ」
「ええ、そんな不快な目にあわせるわけには……」
そういう玲奈に涼太郎は苦笑した。
「しょうがないな。まあ、きみが晴れて独身になれば、暴露にビビることもなくなるわけだしね。それに人数が多いほうがいいだろう」
「す、すみません。お願いします」
「わ、わたしは行かないわよ」
摩季がいった。
「うん。俺たち二人いれば十分だ」
悠人はそういうと、ファイルから離婚届を取り出した。
「もう一人の証人は俺がなる」
「ええ? そんなことまでは……」
「いいから。むしろほかのやつに書かせたくない」
堂々とそんなことをいわれて、しかもそのいい方がやけにやさしくて、玲奈は赤面してしまった。悠人はさっさと署名して印鑑をつくと、摩季にわたす。摩季も署名捺印をすませて離婚届は元のファイルに収まった。
「ふうん。熊谷になるのか」
悠人がつぶやく。
「あ、はい。熊谷玲奈になります」
「なるほど。これがあれば、金のトラブルが防げるわけだ。さすが元銀行員だな」
涼太郎はまじまじと誓約書を見ている。
「ああ、うん。わたしの貯金を渡したくないからね」
「そうか。慰謝料の請求もしないんだ」
「しない。きっぱりこれっきりにする」
「潔いな。まあ、きみのほうが貯金あるだろうしね。で、そのあとはどうする。今日からどこに泊まるんだ?」
「しばらくホテルに泊まって、マンション探す」
もとから玲奈はそのつもりだったのだが。
「俺のところに来い」
悠人だった。玲奈は固まる。摩季も涼太郎もおお? と顔をあげた。そんなに堂々と連れ込む宣言されても簡単に「はい」とはいえない。この人こんなこと公言して恥ずかしくないんだろうか。
「えっと、あの……」
口ごもる玲奈に涼太郎がいう。
「もう、いいんじゃない? 今夜で決着がつくんだし」
そんなににこやかに背中を押されても困る。摩季を見ると、うんうんとうなづいている。いやいや、この場合、はいイコール抱いてください、だろう。せめて二人きりのときにいってほしい。
「んんー」
玲奈は、羞恥のあまり両手で顔を覆ってしまった。
「来るんだ」
悠人の口調は強い。もはや命令だ。
悠人にゆだねればいいのよ。
佳奈のことばがよみがえる。
「ハイ、ワカリマシタ」
玲奈はようよう口に出した。
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