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母が死んだのは私が小学校六年生の時だった。父方の親戚の家に引き取られ、中学校三年生の頃家に戻った。
***
高校からの帰り道、スーパーに寄って夕食の食材を買って帰る。
何しろ父は料理が全然出来なかったから私がやるしかない。弟が産まれる時、母が入院中に父が頑張って作ったのは卵焼き。 くるくるしてなくて甘くもない、それがその時 唯一作れる父の料理だった。
カゴに入れたリュックからネギが飛び出る。時には大根。ハンドルにはレジ袋がかさんで大変だった。
駅の近くのスーパーは学生もよく寄るから同級生に会うとよく笑われた。
気にしてる時間も無く、家に帰って夕食を作った後バイトに。
帰ったら勉強。
そんな私の日常をバイト先の優しい大人はこう言った。
「かわいそうに」
よく聞く単語だ。
小学生の頃から言われ続けて、耳にタコ。
でも、残念ながら私は自分を可哀想などと思ったことはない。外国では戦争があるし、学校に行けない子も、ご飯を食べることが出来ない人だっている。自分で何とかしたくてもどうにもならない、そんな人達を憐れむことはあっても自分がそうとは思えない。
母を亡くしてすぐ親戚の家に引き取られた私は、まず衣食住に困ることは無かった。従姉妹は一つ年下だったけど、私よりしっかりしてたし相談相手にもなってくれた。いつもご飯は主菜、副菜、漬け物、ご飯のお友豊富だったし果物まであった。お腹いっぱい食べれたし、叔母さんが作るゼリーやババロアは私と弟の大好物だった。
早くに亡くなった母のことを思うと胸がいたい。まだ三十代。死ぬには若すぎ。
けれど私はなんやかんや母との思い出もある。ご飯の味も覚えてる。
母の記憶がない幼い弟は可哀想かもしれない。
だからせめて私がちゃんとご飯を作ってやらないと。
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