第三十二話 綸言汗の如し

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 一瞬にして脳内が真っ白になった。和真が美由のことを好きだった。  そんな素振りは、全くなかった。  俺が彼女に気があることを知っていただろ。  応援するとか言っていたじゃないか!  そう思うと、親友に対して怒りの感情が込み上げてきた。  俺だって告白を考えたことはある。しかし、三人の関係性を守るために我慢したんだ。  それを、それを……。 「おまえ、俺の気持ち、知ってんだろ!」 「ああ、知ってる」 「じゃあ、なぜ!」 「分からん。でも、気持ちが抑えられないんだ」  ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!!  頭に血が上っていった。そして、俺は彼を怒鳴りつけた。 「お前なんて親友でも何でもない。絶交だ!!」  その時だった。  浜辺から「女の子が流された!」との大声が聞こえた。  俺と和真は、条件反射で海を見下ろした。  すると、小学生くらいの女の子が、沖へと流されていた。浮き輪は持っておらず、手足をバタバタしている。  明らかに冷静さを失っていた。  そのバタバタは、だんだん弱くなっていった。 「ダメだ、沈む!!」  俺が聞いた和真の最後の言葉だった。言い終わる前に、彼は海に飛び込んでいた。下手な泳ぎで女の子に近付いて、自分のライフジャケットを着せた。  そのまま、岸へと引っ張ろうとしたところ、運悪く高波が二人を襲った。  次に俺が見たのは、浮いている小学生だけだった。  日暮れで捜索は打ち切られた。彼が見つかったのは翌朝だった。  それ以来、美由と疎遠になった。俺は彼女と話す気になれなかったし、彼女も同じようだった。顔を合わせるのが辛くなり、無理をいって別のゼミに変えてもらった。  その後、眠れない日が続いた。  精神が安定する薬を処方してもらったが、憂鬱な気持ちは改善するどころか、酷くなっていった。このままだと、就職活動もままならない。  あの時、飛び込むべきは、泳ぎが上手い俺だったのではないか?  いや、溺れている人を見ても、助けに飛び込んではいけないと聞く。  だから、彼が飛び込むのを防ぐのが正解だった……のか?  じゃあ、女の子を見殺しにするということか?  彼が死なないのなら……赤の他人なんて。  やっぱり止めればよかった。  すぐにライフセーバーが来るからといって、彼の手を引けばよかったのだ。なぜ、それが出来なかったのだろう。  なぜ、なぜ、なぜ……。  なぜ、俺はあいつに「絶交だ……」なんて言ってしまったのだろう。
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