第三十二話 綸言汗の如し

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* * * 「つらい記憶を話していただいて、ありがとうございます。相当、闇、深そうですね」  俺が一連の出来事を、名前を伏せて説明すると、女はそう言った。  思い出したくないことを話させた割に、返答が軽い。  当事者じゃなきゃ、所詮、こんなものか。 「で、そろそろ占ってくれるんだよな」 「いいえ、占いませーん。あなたには処方が必要。問診が終わったので、これからお薬を飲んでいただきます。調合しますので、奧へいきましょう」 「薬? 調合!?」  占い師ではないのか? 偽物なのか。  女は、俺の手を引いて立たせた。想像以上の強い力で、戸惑う俺を奧の部屋へ連れていった。 * * *  医者にあるようなベッドがあった。  シンプルな台の上に、薄っぺらいマットを敷いているだけだが。  周囲を見渡す。ベッドの脇にはパイプ椅子。壁際にコンロと流し台がある。それ以外、医療器具らしきものはない。 「そこに、座っててください。ところで、あなた。いくらまで払えますか?」 「いくらまでって、なんだよ急に」 「今から、あなたのトラウマを治すお薬を調合します。で、いくらなら払えるんですか?」  急にお金を要求するなんて怪しい。所持金は少ない。何て答えたって払えないものは、払えない。なので、貯金額を正直に答える。 「10万円だな」 「それだけですか。学生さんなら仕方ないですね。それで手を打ちましょう。安心してください。私は成功報酬型で仕事を受けています。結果に満足したら、お支払いください。じゃあ、調合に入りまーす」 「あんたは、医者なのか?」 「似たようなものです。あっ、調合している間、私の姿を見てはいけません……っていうのは嘘です」  自分でボケて突っ込んだ女は、パタパタとサンダルを鳴らして流しへ移動した。  手つきからみて、プロの占い師には見えなかった。裏通りの占いなんてそんなもの、と思ったが、占い師ではなかった。  かといって、医者や薬剤師にも見えない。犯罪に巻き込まれようとしているのか?  怖いお兄さんが出て来るならビビるが、女性一人に負ける気はしない。俺はもうしばらく、滞在することにした。  女は冷蔵庫から、材料らしき品々を取り出した。続いて、コンロに鍋を置き、瓶を開けて液体を注いだ。複数の液体を投入したあと、火をつけた。  弱火で熱している間に、女はまな板の上で何かを切り始めた。漂ってくる匂いからニンニクだ。  それを鍋に投入すると、続けて、唐辛子や、見たことがない草を投入した。  こんなものを飲ませるのか!?  室内が、鼻をつく匂いで満たされていった。 「はい、完成~。少し、冷ましましょう」  出来上がった液体をザルで()して瓶に入れた。そして、冷蔵庫に入れる。 「じゃあ、ベッドに寝転がってください」  鼻にかかるアニメ声で、女はニコッと笑った。 「おい、アレを飲ませる気か?」 「はい。とーっても良く効く薬ですよ」  女は俺の両肩を押して、ベッドに寝転がせた。  逃げるか? と頭によぎる。でも、帰ったってまた鬱々とした生活が待っているだけ。  少しでも改善が見込めるなら……そう考えて、起き上がるのをやめた。  冷蔵庫から瓶を取り出し、女が戻ってきた。 「はい、あーん、してください」  どうにでもなれ。  素直に従って、口を大きく開けた。 「いい子でちゅね~」  怪しいお店の幼児プレイか?  そんな空想は一瞬にして断ち切られた。  苦い! からい! まだ熱い! あとは何か分からない草の匂い。  吐き出しそうになる俺の口を、女が両手で塞いだ。  ぐふっ。  一気に飲み干してしまった。  そこで、記憶が途絶えた。
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