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* * *
カランと、固体が何かに当たる音が聞こえた。
背後から?
老人は不思議に思った。ひ孫は出て行ったし、ペットもいない。完全なる静寂の中、その音は空耳ではなく確実に聞こえた。
老人はゆっくりと、振り返った。
「……!?」
目にしたのは少女。
赤い洋服を着た、お人形さんのような女の子。
一目見ただけで、それが絵のモデルだと気が付いた。
「お酒って、初めて飲んだ。これの、どこが美味しいのかしら」
少女はべーっと舌を出しながら、両手で持っていたグラスをローテーブルに置いた。老人が注いだブランデーだ。
「き、君は……」
突然の出来事に、さすがの老人も狼狽した。百年以上も前に描かれた絵画。そのモデルが目の前にいる。こんなことが起こるなんて。
いや、待て。
不幸を振りまくこと自体が超常現象だ。それを信じておきながら、目の前の出来事を信じない道理はない。
「絵の中の少女……か?」
女の子はニッコリと笑う。その笑みが、作り笑顔っぽくて嘘くさい。人間味がないと言った方が適切だ。
「だったら、どうする?」
どうする? そう、そうだ。私には目的がある。
「君が、絵の持ち主を不幸にしているのか?」
少女は、グラスの中から氷だけを取り出して口に入れた。
そして、ガリガリと噛み始めた。
「……そうよ。みーんな、不幸にしてやった」
「じゃあ聞くが、君はなぜ、私を不幸にしない。ここに絵を飾って、もう、一年も経つのに」
少女は老人の方を見ながら、不思議そうに首をかしげた。
「あなたが幸せすぎるから。私は、不幸の種を見つけて、膨らませて人を不幸にするの。あなたには、不幸の種が見当たらない。付け入る隙がないってやつね」
老人は「幸福すぎるのも不幸だぞ」と言ってやろうと思ったが、飲み込んだ。
「君は絵のモデルだろ。なぜ、絵に取り憑いている?」
少し会話をしようと考えた。
それが、結果的には自分の望みをかなえる近道に思えた。
「聞きたい? 私のすごーく、不幸な話」
軽い言葉使いに反して、その表情は重たい。目の奥に底知れない闇を宿しているようだった。
「明治時代って、まだあったのよね」
「何が?」
「奴隷制度。表立ってではないけれど、あちこちに普通にあったのよ」
少女は、自分の生い立ちを話し始めた。
彼女はとても貧しい家に生まれた。生まれ持っての美しさを持っていた少女は両親に売られて、とある金持ちの洋館でお手伝いとして働くことになった。
少女は「ここに似てるところよ」と付け加えた。
売られた初日から仕打ちを受けた。いわゆる、性的行為の強制というやつだ。
まだ、体は子供だった少女を、家の主人は無理やり襲った。抵抗はしなかったらしい。いや、できなかった。
昼は屋敷の仕事、夜は主人の相手。そんな日々が続いた。
ご飯が食べられ、寝泊マネージャーりする部屋があればそれでいい、当時はそう思っていたらしい。
「屋敷には常に、三十人くらいの女の子がいたわ」
「常にというのは、入れ替わるということか?」
「そうよ」
「外に仕事を見つけて出ていくんだな」
「いいえ、女の子は入ってはくるけど、洋館の外に出ることはない」
どういうことだ?
出られないということは……。
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