第三十三話 そうだ、無間地獄へ行こう!

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* * *  カランと、固体が何かに当たる音が聞こえた。  背後から?  老人は不思議に思った。ひ孫は出て行ったし、ペットもいない。完全なる静寂の中、その音は空耳ではなく確実に聞こえた。  老人はゆっくりと、振り返った。 「……!?」  目にしたのは少女。  赤い洋服を着た、お人形さんのような女の子。  一目見ただけで、それが絵のモデルだと気が付いた。 「お酒って、初めて飲んだ。これの、どこが美味しいのかしら」  少女はべーっと舌を出しながら、両手で持っていたグラスをローテーブルに置いた。老人が注いだブランデーだ。 「き、君は……」  突然の出来事に、さすがの老人も狼狽した。百年以上も前に描かれた絵画。そのモデルが目の前にいる。こんなことが起こるなんて。  いや、待て。  不幸を振りまくこと自体が超常現象だ。それを信じておきながら、目の前の出来事を信じない道理はない。 「絵の中の少女……か?」  女の子はニッコリと笑う。その笑みが、作り笑顔っぽくて嘘くさい。人間味がないと言った方が適切だ。 「だったら、どうする?」  どうする? そう、そうだ。私には目的がある。 「君が、絵の持ち主を不幸にしているのか?」  少女は、グラスの中から氷だけを取り出して口に入れた。  そして、ガリガリと噛み始めた。 「……そうよ。みーんな、不幸にしてやった」 「じゃあ聞くが、君はなぜ、私を不幸にしない。ここに絵を飾って、もう、一年も経つのに」  少女は老人の方を見ながら、不思議そうに首をかしげた。 「あなたが幸せすぎるから。私は、不幸の種を見つけて、膨らませて人を不幸にするの。あなたには、不幸の種が見当たらない。付け入る隙がないってやつね」  老人は「幸福すぎるのも不幸だぞ」と言ってやろうと思ったが、飲み込んだ。 「君は絵のモデルだろ。なぜ、絵に取り憑いている?」  少し会話をしようと考えた。  それが、結果的には自分の望みをかなえる近道に思えた。 「聞きたい? 私のすごーく、不幸な話」  軽い言葉使いに反して、その表情は重たい。目の奥に底知れない闇を宿しているようだった。 「明治時代って、まだあったのよね」 「何が?」 「奴隷制度。表立ってではないけれど、あちこちに普通にあったのよ」  少女は、自分の生い立ちを話し始めた。  彼女はとても貧しい家に生まれた。生まれ持っての美しさを持っていた少女は両親に売られて、とある金持ちの洋館でお手伝いとして働くことになった。  少女は「ここに似てるところよ」と付け加えた。  売られた初日から仕打ちを受けた。いわゆる、性的行為の強制というやつだ。  まだ、体は子供だった少女を、家の主人は無理やり襲った。抵抗はしなかったらしい。いや、できなかった。  昼は屋敷の仕事、夜は主人の相手。そんな日々が続いた。  ご飯が食べられ、寝泊マネージャーりする部屋があればそれでいい、当時はそう思っていたらしい。 「屋敷には常に、三十人くらいの女の子がいたわ」 「常にというのは、入れ替わるということか?」 「そうよ」 「外に仕事を見つけて出ていくんだな」 「いいえ、女の子は入ってはくるけど、洋館の外に出ることはない」  どういうことだ?  出られないということは……。
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