第三十三話 そうだ、無間地獄へ行こう!

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* * *  背後からいきなり襲い掛かられる……そんなことになりはしないか、老人は不安になった。  死ぬのが不安なのではない。このまま死ぬと、善人で終わる。行先が天国になってしまう。 「お待たせしました」  老人は振り返った。  ソファーに座っていたはずの少女が、真後ろに立っていた。驚いて一歩、あとずさる。 「何も変わってないようだが」  赤い洋服に長い髪。先ほどまでの少女と何も変わらない。  少女は近付いて、老人の手を取った。  そして、両手を自分の首元まで持ち上げた。 「さあ、私の首を思いっきり締めなさい」  ――首を締める、だと!?  突然のその提案に、頭が混乱する。目の前にいるのは、百年前の幽霊。その少女の首を締める。それに、何の意味があるのか? 「私、思い付いちゃったの。あなたを不幸にする方法。これまで、不幸な人間をさらに不幸にすることしか考えなかった。それが、絵から抜け出す近道だと思っていた」  老人は、少女の首に手を掛けたまま聞いている。 「でも、それは遠回りだったの。幸せな人間を、不幸の底に落とす。このギャップの大きさこそが、不幸の大きさだと気が付いたの。あなたみたいな人間が、坂道を転げ落ちるように不幸になる。これこそが、私が求める、最大の不幸じゃないかって」 「君を殺して、殺人犯になれと。でも、君はとうの昔に死んでしまっているだろ」 「それは大丈夫。さっき、あなたが目隠しをしているときに、実体化したの。貯めてきた不幸のパワーを使えば造作もないわ。ほら見て」  少女はあごで、壁の絵を示した。  老人は視線をそちらに向ける。 「絵から少女が消えてる……」  壁に掛かった絵に少女の姿はなかった。背景の洋室だけになっていた。 「私を殺すと、ここに死体が残る。あなたは、見知らぬ少女を殺した殺人犯として不幸になる。私は開放される。そして、あなたが引き継ぐ。自分より不幸な人間を探す、永遠の旅の始まりってわけ」 「そうか、それはいい!」  理屈に納得した老人は、目を輝かせた。  そして、首に掛けた両手に力を込めた。少女の口から嗚咽が漏れる。  絹のような手触りの肌は、ひんやりと冷たい。  老人は容赦なく力を込めた。  年老いたとはいえ、か弱い少女の首を締めるのは造作もない。指が首に食い込んでいく。その部分の肌が赤く充血していった。 「く、苦しい……た、す、け、て」  白目を向きながら、少女が苦悶の声を上げた。 「何を今さら」  老人は腕に渾身の力を込めた。 「なんで……おじい……ちゃん」
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