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手の平に、枝を折ったような感覚を感じた。その瞬間、少女の首がガクッと後ろに曲がった。
全身から力が抜け、体重が老人の腕にかかった。
重さに耐えきれず手を離すと、少女の体は地面に倒れた。四股は、紐が切れた操り人形のように、あらぬ方向に曲がっていた。
「ハ、ハハハ。やった、やってやったぞ」
これまでにない高揚感。腹の底から湧き上がる興奮。
これだ、この感覚だ。
「あ、あなた!!!」
突然、室内に女性の絶叫が響いた。
さすがの老人も、その大声に体がびくっと反応した。
開け放たれたドアの向こうに、妻が立っていた。
両手を口に当てて、老人を見ている。そして、その下に転がる死体も。
「あなた、何があったの! 倒れているのは……愛理!!」
愛理だって? まさか!!
床に倒れた死体に視線を向けた。
「……あ、愛理……」
そこに転がっていたのは、赤い洋服の少女ではなかった。白いワンピース姿の愛理だった。白目をむいて絶命していた。血が混じった嘔吐物が口から流れ出ていた。
「自分のひ孫を……殺ってしまった」
その瞬間に老人は理解した。赤い洋服の少女は、老人が目を閉じている間に愛理に乗り移ったのだ。そして、ドアをそっと開けて室内に入った。
赤い洋服の少女に見えたのは、幻覚を見せる力を持っていたということだ。
「ヒヒ……ヒヒヒヒヒ」
老人は奇声を上げ始めた。後悔の念はなかった。
――これで願いが叶う。
壁に掛けられた絵を確認する。
その絵に少女の姿はなかった。
――あの席は私のもの。私があの絵となって、不幸を振りまくのだ。それこそ、望んだ無間地獄。
甲高い声で笑う夫を見て、妻は後ずさった。廊下の壁に背中が当たり、そのままヘタリ込んでしまう。
「あ、あ……」
声が出せなくなっていた。腰が抜けて、逃げ出すこともできない。
ひ孫の死体、脇で奇声を上げる夫。彼女の日常は崩れ去った。
「誰がやったかって? 私だよ。私が愛理を殺した……って言ったら、おまえはどうする?」
老人は、部屋を歩いてゆっくりとドアへ歩み寄った。
「こ、来ないで!」
やっと絞り出した声は、老人の耳には届かない。
「なんだ、失禁しているぞ。そうか、そうか。普通の人間には耐えられないか」
妻は底知れぬ恐怖を感じた。
長年、連れ添った優しい旦那が殺人犯になった。現実離れしすぎている光景に、思考が完全に停止した。
「君も私の手で死ぬかい? いや、その前にやってもらいたいことがある」
老人は、ズボンのポケットから何かを取り出して差し出した。
携帯電話だった。
「さあ、警察に連絡してくれ。そして、こう言うんだ。『旦那がひ孫を殺しました』って」
(了)
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