第三十四話 ひと夏だけの恋

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第三十四話 ひと夏だけの恋

 しがみつくだけで精一杯だ。  オレはこのまま、死ぬのか?  頭がボーっとする。暑さのせいか……いや、寿命が近いからだと思うべきだろう。  ――セミの寿命は、長くても三週間くらいなんだって。  母親が、幼い子供にそう教えていた。  昼がきて、夜がくると一日。  地面から這い出て木に登り、オレは三十回もの夜を超えてきた。  人間が言っていた寿命とやらをすでに超えている。  オレはこの公園を拠点にして生きてきた。  昼間は、ベンチに座る人間の会話を聞いて見聞を広めた。  夜は、公園脇の道を走る、車と呼ばれる乗り物を観察して過ごした。  最初の数日で人間の言葉が理解できるようになった。  しかし、そんな特殊能力を持っているのはオレだけらしかった。  いろんなセミたちに話かけたが、オレの意図は伝わらなかった。  そんなオレだが、他の男子セミ同様、必死で婚活した。  短い寿命だ。  うかうかしていると、子孫を残す前に死んでしまう。  けれど、撃沈続き。  女子セミに積極的にアプローチしても、うざったがられた。  必死に語りかけらえるのが、うっとしかったのかもしれない。  寡黙なセミか、体の大きいセミがモテていた。  そんな男子セミたちに嫉妬しながらも、楽しく過ごしてきた。  しかし、彼らはもういない。  草むらには、仲間たちの死体が転がっている。  間もなく、夏が終わる。  同時に、セミのシーズンも終るのだ。  不思議と悲しさはなかった。  なぜなら、オレも間もなく、彼らの元へ旅立つからだ。  そろそろ日が暮れる。おそらく朝を迎えることはないだろう。  鳴くのに疲れたのでしばらく休むことにした。  もう、飛び立つ元気はない。  体力を温存して、少しでも長生きするか……そう思った時だった。  ――ジ……ジジジジ……。  鳴き声が聞こえた。  何と繊細で美しい歌声だろう。  目を凝らすと、隣の木に一匹の女子セミがとまっていた。  ――ああ、飛べるなら脇まで行って話がしたい。  カップルになろうなんて、夢のようなことまでは望まない。  せめて、最後に話がしたい。  オレが一方的に話かけることになるだろうけれど。  そんなふうに考えていると、鳴き声が次第に小さくなっていった。  女子セミの体が反っていく。  そして、しがみついていた足が木から剥がれていくのが見えた。  ――命が尽きかけている!  女子セミは木からポロリと落ちた。  下は車道!  しかも、赤い乗用車が走ってきている!  オレの体は無意識に動いていた。  自分でも驚くほどの速度で飛び立ち、車に接触する直前の女子セミに体当たりした。 * * * 「いてて……」  周囲に視線を向ける。  草むらの上だ。  少し離れた位置に、女子セミが転がっていた。  公園と車道の間の草むらに落下したようだ。  九死に一生。  そんなことより、彼女は!? 「大丈夫ですか? おケガは?」  返事がない。  すでに彼女は……と思ったときだった。 「私、力が入らなくなって木から……」  彼女は羽を震わせて、オレの方へ体を向けた。 「助かってよかったです。あわや、車にぶつかっていたところです」  そう言った瞬間、オレはハッとした。  ――言葉が、通じている! 「オレの言っていること、分かりますか?」 「分かります。ああ、何てことでしょう。言葉が分かる方がいるなんて……」  彼女もオレと同じだったのだ。 「私の言葉、誰にも伝わらなかった。結局、誰とも打ち解けられませんでした」  彼女はこの公園に来るまでの経緯を話してくれた。  小柄で艶やかな羽を持つ彼女は、何人もの男性セミにアプローチを受けた。  しかし、話しの通じない彼らと深い仲になることはなかった。  周囲のセミたちが次々と死んでいき、寂しくなった彼女は、最後の力を絞ってこの公園まで飛んできたのだった。 「神様は残酷です。こんなにも短い時間しか生きられない生物を作るなんて」 「そうでもないですよ。神様は最後にあなたに会わせてくれました」  彼女と同じことは何度も考えた。  セミの何百倍も長く生きられる人間が羨ましかった。  女性に告白して失敗しても、またチャレンジできる。  うかうかしていると死んでしまうセミとは違う。  これは、最後に神がくれたチャンスなのだ。 「もし、よろしければ……オレとお茶しませんか?」 「お茶……ですか?」  人間は、気に入った女性ができたら喫茶店というところへ誘うらしい。 「あそこに大きな木が見えるでしょ。とっても美味しい樹液が出ているんです」 「……いいですね。私、行きたい。でも……」  彼女は弱々しく羽を動かした。 「もう飛べません。体力が残っていないのです」  それは事実だと分かったが、諦めなかった。 「オレも同じです」  右の羽を持ち上げる。  すると、その羽は体の根元からポロリと落ちた。  先ほどの体当たりで折れていたのだ。  彼女は「キャッ」と悲鳴を上げた。  そして「ごめんなさい」と謝った。 「樹液を飲めば、絶対に元気が出ます。オレはまだ歩けます。あなたはどうですか?」 「ゆっくりなら」 「じゃあ、歩いていきましょう」  ここで彼女に「付き合ってください」と告白することもできる。  この状況なら、彼女もOKしてくれるだろう。  それで、オレは死ぬ前にカップルになることができる。  だけど、オレは恩を売って女性を手に入れるような、野暮な男ではない。  告白は、ムードを作ってからだ。 「お名前、教えてください」  そう尋ねる彼女の声色に、生気が戻っていた。  生きるための力が沸いてきたようだ。 「名前など、考えたことないです」  誰と話しても伝わらないので、名前は無意味だった。 「意地悪を言ってごめんなさい。私も同じです。せっかく出会えたんです。お互いの名前を考えませんか? その方が、励まし合えるでしょ」  彼女は小悪魔のようにウフフと笑った。  オレたちは残り少ない寿命のいくらかを使って、相手の名前を考えた。 「1、2の3で同時に言いましょう。カウントしますよ。1、2の3――」  互いが付けた名前を気に入ったオレたちは、草むらを移動し始めた。  空が夕焼けで赤く染まっていた。  真夏ならセミの大合唱が聞こえている時間帯。  今は、ヒグラシが鳴いている。  ――夏が終わる。  夏の終わりは、命の終わり。  夕焼けを見ながら愛の言葉を伝えるつもりだったが、この速度だと間に合わない。  彼女の歩みは少しずつ遅くなっていた。  しかし、諦めてはいなかった。 「さあ、根元まで来ました。あと少し登れば到着です。上から眺める夜景は最高なんですよ」  彼女は「楽しみ」と消え入りそうな声で返事をした。 * * *  まどろみの中、僕は目を覚ました。  うたた寝をしてしまったらしい。  病室のベッド横で僕は、眠る彼女の手を握っていた。  ほんのりと体温を感じる。  ――良かった、生きてる。  明日、彼女は手術を受ける。  成功率は低いと言われた。  手術に体が耐えられないかも、とも言われた。  しかし、うまくいけば延命が期待できる。  二人で何度も話し合って、手術を受ける決断をした。  僕は立ち上がって、窓から外を眺めて独り言をつぶやく。 「うまくいったら、夜景の綺麗なレストランに行こう」  どこからか「楽しみ」と言う、彼女の声が聞こえた気がした。 (了)
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