第三十七話 月夜に舞う天女

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* * * 「で、そのまま、お別れになっちゃったの。つまんなーい」  服の裾を掴んで、ダダをこねる茜をなだめる。 「いやいや、それで終わりだったらパパも話さないよ。年が明けて直ぐ、街中で見かけたんだよ」 「その女の人?」 「そう。転校したはずなのに、うちの学校のブレザーを来て、いつもの鞄を肩に掛けてた。一目で彼女だと分かった」 * * *  寒い日の夕方だった。真冬なので俺はダウンコートを着ていた。彼女は相変わらずの紺色のブレザー姿だった。  胸が高鳴った。もしかしたら、海外行きがなくなったのか? だとしたらまた、学校で会える。  声を掛けようかと思ったが、彼女は速足で歩き去った。俺は急いで追いかけた。  駅前の商店街を抜けて、彼女は薄暗い河沿いへと進んでいった。真冬なので日が落ちるのが早い。追いかけて十五分ほど経ったころには、周囲はすっかりと暗くなっていた。  街灯のない河沿いの小道。しかし、薄暗い中でも足元は見えていた。  俺は空を見上げた。その日は、今日と同じく大きな満月が夜空に浮かんでいた。月光のおかげで、数十メートル先を歩く彼女を辛うじて視認することができた。 「あれっ?」  突然、彼女を見失う。幻のごとく消えたように思えた。  耳を澄ませると、草を踏む音が聞こえた。  彼女は小道から、河原へむかう草むらを進んでいた。月明かりだけが頼りのこんな場所へ、一体なぜ?  不安がよぎる。もしかして、川へ身を……。そんなことになりそうなら、何がなんでも止めなければ。  彼女は河原で歩みを止めると、空を見上げた。その先には、青白いスーパームーンが浮かんでいた。俺は、少し離れた草むらに身を隠す。  ――身を投げるつもりはない?  そう思ったとき、彼女は驚くべき行動をとった。  服を脱ぎ始めたのだ。脱いだブレザーを砂利の上に放り投げ、スカートを脱ぎ、そして下着までも。  全裸になった彼女は、地面に置いた鞄から何かを取り出した。それは、薄く長い布のようだった。薄手のその布は、月明かりに反射してキラキラと光っていた。  彼女が布を自分の体に巻き付けると、体がふわりと空中に浮いたのだった――。  まるで、天女のようだ。  満月の夜、深い青に染まった空に浮かぶ彼女の姿は、夢の中の光景のようだった。  長い黒髪は優雅に揺れ、星々が彼女をたたえているかのようだ。  透き通った布越しに見える彼女のシルエット。初めて見る女性のリアルなボディラインは、いやらしさではなく、美しさを感じさせた。  一瞬、見とれてしまったあと、俺は草むらから飛び出していた。  このままだと、彼女がどこかに行ってしまう。  走り寄った俺は、彼女がまとう布の端をギリギリのところで掴むことができた。 「あなたは……」  彼女は驚いた顔をした。 「離して、お願い……」 「嫌だ。ちゃんと説明してくれ」  俺に何かを説明する義理はない。しかし、そう言わずにはいられなかった。  布を引く感触は、まるで浮かぶ風船の糸を掴んでいるように微かなものだった。 「私は故郷へ帰ります」  言ってから彼女は、夜空を見上げた。 「故郷って、まさか……」  彼女は小さくうなづいて、言葉を継いだ。 「私の体はとても軽いの。そして、月の引力に過敏に反応する。だから、ずっと浮かないように制服を着ていたの」  彼女の視線の先にある制服。彼女を掴んでいる逆の手で制服を手に取った。  鋼でも入っているのか? ずしっと重たい制服は、男子の片手でも持ち上がらないほど重たかった。 「今夜は満月。その引力を使って私は故郷に帰るのです。役割を終えたから……」  物理の授業で万有引力の法則について勉強したことを思い出す。  引力は、距離に反比例して小さくなる。距離が二倍になると、引力は四分の一になる。いくら満月といっても、人間一人をここまで引き上げられるものなのか? 「私たち、月の人は、月の引力に過敏の反応するようなの」 「また、会えるかな?」  俺が尋ねると、彼女は寂しそうに笑った。
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