30人が本棚に入れています
本棚に追加
第三十九話 猛犬注意!
――早朝の遊歩道は、犬の天下だ。
ランニングをしながら雄太は、いつもそう思う。
毎朝のランニングは彼の日課だ。
軽く運動をしてから、大学へ行く方が頭が回転する。
家族と住んでいる実家は、郊外の閑静な住宅街。
涼しくなった秋の早朝は、ランニングには最適だ。
しかし、犬と飼い主を避けて走るのにはストレスを感じた。
「おはようございます、桜井さん。いつも精が出ますね」
高齢の男性が、雄太に声を掛けてきた。
「おはようございます。鈴木さんこそ、毎朝、散歩するのは大変じゃないですか?」
「朝だけでなく、夕方もです。ペロが、連れて行けってうるさくてね。でも、それが運動になってちょうどいい」
鈴木は、連れている犬に視線を向けた。
日本犬の雑種。
背筋を張り、尻尾を振って楽し気にご主人を見上げていた。
――嫌いなんだよ。お前が。
雄太は、表情に出さずに内心で吐き捨てた。
近所の鈴木夫妻とは顔なじみだ。小学生の誘導も買って出てくれる、人の好いご夫妻だ。
人間関係を悪くしたくないので態度には表さないが、雄太は犬が嫌いだった。
――ご主人のいる前だと、本性を表さないのか。俺にはあんなに吠えるくせに。狡猾な奴だ。
「近くの神社で拾ってから、もう五年が経ちました」
「そんなに経ちましたか」
ペロは、神社で拾われたのだ。住宅街の端に古びた神社がある。
そこにある狛犬の石造の下に、箱に入れられて捨てられていた。
それを偶然に通りかかった、鈴木夫妻が見つけたのだ。
「では、僕はランニングをしてきますので」
雄太は、鈴木と別れた。
――やっぱり、犬より猫がいい。
雄太の実家には三匹の猫がいる。皆、近所の公園でひろった捨て猫だ。
猫は、甘えたいときは近付いてくる。気分が乗らないときは、人を無視する。
そんな、猫の気まぐれなところが好きだった。
一方、犬は散歩を必要とするため、忙しい生活には合わない。その点、猫は散歩が不要だ。
何よりも犬は鳴き声がうるさい。他の動物や人間に攻撃的だ。
あらゆる点で、雄太は猫の方が好きだった。
* * *
ある日の深夜、雄太は駅から歩いて自宅へ向かっていた。
自宅は、駅から三キロメートルほど離れている。
普段はバスを使っているが、最終バスは午後十時になくなってしまう。
大学生の雄太は、タクシー代を払うくらいなら歩く方を選んだ。
二十歳を超えた途端、飲み会が増えた。
その日も、大学の友人とコンパに参加した帰りだった。
ワン……ワン、ワン、ワン! グルルゥゥゥゥ……。
鈴木夫妻の家の前に差し掛かったときだった。
鉄製の門の隙間から、飼い犬のペロが大声で吠えかかってきた。
ペロは玄関先の犬小屋で飼われている。
鎖に繋がれているので出てくることはできないが、このように、家の前を通る人間に吠えかかるのだ。
通常なら予想はできた。しかし、その日の雄太は酔いで判断能力が落ちていたため、驚きで飛び上がってしまった。
――やっぱり、本性を表したな!
ペロは、飼い主の前では可愛らしく振舞う。
だが、監視の目がなくなると、狂ったように雄太に吠えるのだった。
首輪に付けられた鎖が切れるのではと思うほどの勢いだ。
雄太は、苛立ちを覚えつつ、目を合わせないように通り過ぎた。
自宅の一戸建ての前で立ち止まる。
――なぜ、あんなに吠えられなければならないのか?
苛立ちが高まってきた。
犬は猫と違い、門番の役割を果たすことができる。
それは、知らない人に対してだけでいいはず。
飼い主とよく話している雄太に、吠える理由はない。
――俺のことが嫌いってことか!
その考えに至ると、苛立ちが怒りに変わっていた。
雄太は、自宅に入らずに道を引き返した。
鈴木夫妻の家の前に立つ。
深夜の静寂の中、鎖の擦れる音がした。
――やっぱりか!
犬小屋がガタガタと揺れた直後に、犬の咆哮が静寂を破った。
予想していたので、今度は驚かなかった。
むしろ、これが作戦だ。
雄太は家の前を行ったりきたりした。
ペロは狂ったように吠えている。
――もっと吠えろ、吠えろ! そうしたら、お前はご主人に酷く叱られる。
戻ったのはこれが理由だ。わざと吠えさせる。結果、近所迷惑となる。
ペロは叱られるか、もしかしたら、室内で飼われることになるかもしれない。
いずれにしても、ざまあみろだ。
雄太は、門に近付いて揶揄うように、舌を出した。
その時だった。
ペロが鼻で押していた鉄製の門に隙間ができた。
あっ、と思ったのもつかの間、ペロが飛び出してきて雄太に飛び掛かった――。
最初のコメントを投稿しよう!