第三十九話 猛犬注意!

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第三十九話 猛犬注意!

――早朝の遊歩道は、犬の天下だ。  ランニングをしながら雄太は、いつもそう思う。  毎朝のランニングは彼の日課だ。  軽く運動をしてから、大学へ行く方が頭が回転する。  家族と住んでいる実家は、郊外の閑静な住宅街。  涼しくなった秋の早朝は、ランニングには最適だ。  しかし、犬と飼い主を避けて走るのにはストレスを感じた。 「おはようございます、桜井さん。いつも精が出ますね」  高齢の男性が、雄太に声を掛けてきた。 「おはようございます。鈴木さんこそ、毎朝、散歩するのは大変じゃないですか?」 「朝だけでなく、夕方もです。ペロが、連れて行けってうるさくてね。でも、それが運動になってちょうどいい」  鈴木は、連れている犬に視線を向けた。  日本犬の雑種。  背筋を張り、尻尾を振って楽し気にご主人を見上げていた。  ――嫌いなんだよ。お前が。  雄太は、表情に出さずに内心で吐き捨てた。  近所の鈴木夫妻とは顔なじみだ。小学生の誘導も買って出てくれる、人の好いご夫妻だ。  人間関係を悪くしたくないので態度には表さないが、雄太は犬が嫌いだった。  ――ご主人のいる前だと、本性を表さないのか。俺にはあんなに吠えるくせに。狡猾な奴だ。 「近くの神社で拾ってから、もう五年が経ちました」 「そんなに経ちましたか」  ペロは、神社で拾われたのだ。住宅街の端に古びた神社がある。  そこにある狛犬の石造の下に、箱に入れられて捨てられていた。  それを偶然に通りかかった、鈴木夫妻が見つけたのだ。 「では、僕はランニングをしてきますので」  雄太は、鈴木と別れた。  ――やっぱり、犬より猫がいい。  雄太の実家には三匹の猫がいる。皆、近所の公園でひろった捨て猫だ。  猫は、甘えたいときは近付いてくる。気分が乗らないときは、人を無視する。  そんな、猫の気まぐれなところが好きだった。  一方、犬は散歩を必要とするため、忙しい生活には合わない。その点、猫は散歩が不要だ。  何よりも犬は鳴き声がうるさい。他の動物や人間に攻撃的だ。  あらゆる点で、雄太は猫の方が好きだった。 * * *  ある日の深夜、雄太は駅から歩いて自宅へ向かっていた。  自宅は、駅から三キロメートルほど離れている。  普段はバスを使っているが、最終バスは午後十時になくなってしまう。  大学生の雄太は、タクシー代を払うくらいなら歩く方を選んだ。  二十歳を超えた途端、飲み会が増えた。  その日も、大学の友人とコンパに参加した帰りだった。  ワン……ワン、ワン、ワン! グルルゥゥゥゥ……。  鈴木夫妻の家の前に差し掛かったときだった。  鉄製の門の隙間から、飼い犬のペロが大声で吠えかかってきた。  ペロは玄関先の犬小屋で飼われている。  鎖に繋がれているので出てくることはできないが、このように、家の前を通る人間に吠えかかるのだ。  通常なら予想はできた。しかし、その日の雄太は酔いで判断能力が落ちていたため、驚きで飛び上がってしまった。  ――やっぱり、本性を表したな!  ペロは、飼い主の前では可愛らしく振舞う。  だが、監視の目がなくなると、狂ったように雄太に吠えるのだった。  首輪に付けられた鎖が切れるのではと思うほどの勢いだ。  雄太は、苛立ちを覚えつつ、目を合わせないように通り過ぎた。  自宅の一戸建ての前で立ち止まる。  ――なぜ、あんなに吠えられなければならないのか?  苛立ちが高まってきた。  犬は猫と違い、門番の役割を果たすことができる。  それは、知らない人に対してだけでいいはず。  飼い主とよく話している雄太に、吠える理由はない。  ――俺のことが嫌いってことか!  その考えに至ると、苛立ちが怒りに変わっていた。  雄太は、自宅に入らずに道を引き返した。  鈴木夫妻の家の前に立つ。  深夜の静寂の中、鎖の擦れる音がした。  ――やっぱりか!  犬小屋がガタガタと揺れた直後に、犬の咆哮が静寂を破った。  予想していたので、今度は驚かなかった。  むしろ、これが作戦だ。  雄太は家の前を行ったりきたりした。  ペロは狂ったように吠えている。  ――もっと吠えろ、吠えろ! そうしたら、お前はご主人に酷く叱られる。  戻ったのはこれが理由だ。わざと吠えさせる。結果、近所迷惑となる。  ペロは叱られるか、もしかしたら、室内で飼われることになるかもしれない。  いずれにしても、ざまあみろだ。  雄太は、門に近付いて揶揄うように、舌を出した。  その時だった。  ペロが鼻で押していた鉄製の門に隙間ができた。  あっ、と思ったのもつかの間、ペロが飛び出してきて雄太に飛び掛かった――。
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