第四十話 背後霊をみる方法

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「背後霊は視野角の外側にいる。そして、それは自分自身の目でしかみることができない。だから、決してみることができないということだ」  先生は、頭を模した円の真後ろに、チョークで円を追加して塗りつぶした。  この辺りに背後霊がいるということだ。 「背後霊は、背中の後ろにいるから背後霊って呼ばれてるんですよね。首を傾けて背中を見たら見えるものじゃないんですか?」  鏡を持っていた女子生徒が質問した。確かにその通りだ。 「私の祖母が言うに、背後霊は頭の真後ろにいる。そして、首を右に向ければ左側に、左側にむければ右側に、すぐに移動する。常に頭の後ろ、視野角の外にいるので、結果的に見えないというわけだ」  なんだか、うまく言いくるめられている気がしてきた。「どうやっても見れません」と説得されているような、そんな感じ。 「首を素早く動かしたら、影だけでも見れたりして」  そう言ったのは、気弱な直人。普段はビビりだが、興味には勝てなかったのだろう。 「確かに、高速で首を動かせたら可能だろうけどね。でも、背後霊の移動速度は相当早いらしい。想像を絶する速度で動かさないと無理だろう。はい、これで、この話は終了。では、授業を始めるぞ」  先生は教卓の上で、教科書をトンと音を立てて整えた。「えー」とか「言いくるめられたみたいー」などと皆が思い思いのことを口にした。  そんな中、俺はまだ引っ掛かることがあった。  ――先生は、背後霊をみた。  確かにそう言っていた。一体どうやって? 先生は三つの条件で、背後霊は決して見ることができないと示した。理屈が整わない。  隠している別の方法でもあるのだろうか? 「先生」  俺は手を挙げながら、椅子から立ち上がった。 「先生は見たって……それを聞くまで授業に集中できる気がしません」  先生はハッとした表情をして目を丸くした。しまった、そう思っているように見えた。  背後霊を見る方法までは言っても良かったのだが「自分が見た」と言ったのは、つい口を滑らせてしまったのだろうと、俺は推測した。  先生は「それは……」と語尾を濁した。 「誰にも言いませんから」  理沙だけでなく、何名かの生徒も同じ趣旨の言葉を口にした。  先生は「ふう」と大きなため息をつき「本当にここだけの話にしてくれよ」と続けた。心なしか表情が緩んだ気がした。 「先生が会った背後霊は、その話をしてくれたおばあちゃん、つまり、亡くなった祖母だ」  一旦は和んだ教室の雰囲気が、一瞬にして固まった。信頼する先生がお化け……幽霊の話をしているのだ。 「それ、聞いても大丈夫なんですか?」  理沙の声は震えていた。いつもは快活な理沙が、こんな声を出すのは意外だった。しかし、俺自身も言葉にできない怖さを感じていた。 「なんだ、怖気づいたのか? 大丈夫、そんなに怖い話じゃない。聞いたら呪われるってこともない。どちらかと言うと心温まる物語だ」  笑みを浮かべる先生の様子が異様に見えた。怪談は笑いながら話される方が逆に怖いのかも、などと思ったりして。 「先生は大学時代に、大きな事故に合ったって話、したことあったよな」  皆、コクコクとうなづいていた。確かに、前にそんな話を聞いた。交通安全の説明をする何かの授業の時。昔、交通事故にあったって。 「先生はその頃、オートバイに乗っていた。750ccの大型のバイク。ツーリングが好きで遠くまでいったものだ」  順に視線を送りながら先生は話し続ける。 「ある山奥に走りに行っていたときだった。そこは、クネクネとした山道でね、結構な速度で走っていた。本当に一瞬の気の緩み……だった。ハンドル操作を誤って車線にはみ出してしまった。しかも、運が悪く対向車線に車が来ていた」 「それって……正面衝突……ですか」  先生は無言でうなづいた。バイクと車の正面衝突。両者の速度の合計が、生身の体に掛かるのだ。無事でいられるわけがない。 「バイクは、相手の乗用車の正面にぶつかり、先生の体はボンネットに乗り上げ、そのまま空中に投げ出された。グキッと音が聞こえた。首の骨が折れた……一瞬でそれが分かった」 「首の骨…って」  映画で見たことがある。スパイが人を殺すときに、背後から首をひねるやつだ。頸椎には重要な神経が走っている。首の骨が折れることは、即死を意味するということだ。 「先生の首はすさまじい勢いでひねられ、体の後ろに向いた……のだと思う。そこで見た、いや、会ったんだよ、おばあちゃんに」  先生はどこもなく、空中を見上げていた。俺はごくりと唾を飲み込む。 「先生が昔に合ったおばあちゃん、そのものだった。優しい笑顔でこちらを見ていた。そうか、自分は死んでしまったから、おばあちゃんに……そう思った。しかし、おばあちゃんは無言のまま首を横に振った。そして、笑顔のまま両手を僕の頬に当てた。そして、こう言った「久しぶりに会えたのは嬉しいけれど、まだ、こっちに来るのは早いよ」って」  先生の首は、事故の衝撃で勢いよく後ろへ回転してしまった。自分では動かせないほどの速度で首が回転した結果、背後霊……先生のおばあちゃんの霊に出会うこととなったのだ。  でも、普通は生きていられないのではないか? 「おばあちゃんは、最後にこういった。「ちょっと、痛いけど我慢するんだよ」って。その直後、おばあちゃんの手から信じられないほどの力を感じた。首を元の位置に戻す方向へだ。その後、先生は救急車で運ばれて三カ月入院することになった。あちこち骨折はあったが、生きているのは奇跡だと医者には説明されたね」  先生は、改めて数冊重ねた教科書を教卓の上で、トンと音を立てて整えた。 「これで全部だ。さあ、授業を始めるぞ」  教師として話にくい内容だっただろう。しかし、榊原先生は全てを話してくれた。信頼できる人だと思った。  俺は、唐突に首を左右に素早く、振り始めた。右に左に何度も。 「おい、春樹。何をしている?」 「こうやって素早く動かすと、背後霊の影だけでも見えないかなって?」 「そんな速度じゃ無理だぞ。先生の事故くらいの衝撃じゃないとな。そうだ、じゃあ、春樹、先生が強烈にビンタしてやろうか。それなら、見えるかもしれんぞ、背後霊」 「いやー、それは勘弁願いたいです」  教室内にどっと笑いが起こった。もう、うちのクラスでは「背後霊をみる方法」が行われることはないだろう。  命を掛けてまでするようなことではない。そう思えた。 (了)
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