第四十一話 最後の婚約者

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 俳優? 離婚トラブル?  横で頭を下げた女性は、マネージャーだった。  彼は有名な俳優らしかった。俺はドラマを見ないので、全く知らなかった。 「単刀直入に申し上げます。あの悪法を止めてほしいのです」  彼は実直な眼差しで、俺に語り掛けた。日に焼けた彫りの深い顔に吸い込まれそうになる。本物の俳優は、一般人にないオーラをまとってると知った。 「お話が見えませんが」 「法律が憲法違反だとして、訴訟を起こして欲しいのです」  彼はかなりモテるらしかった。加えて、結婚願望がないことを公言していた。  そのこ頃、雑誌では「結婚しない非国民」との見出しで、有名人が取り上げられる記事が増えていた。柏木はその先鋒だった。  ――立場は違えど、俺と同じ。  その晩、二人で飲みに行くこととなった。そこで「あの悪法をぶっ潰す!」と意気投合したのだった。  即座にアクションを起こした。訴状を整え、地方裁判所に訴訟を提起した。 『非国民め、くたばれ!』  事務所に匿名の電話やら、手紙やらが来るようになったのは、その後だった。国を提訴したことで、俺は一躍有名人になってしまったのだ。  誹謗中傷はエスカレートした。中には脅迫まがいのものもあった。しかし、俺は弁護士という立場が幸いしてか、彼よりはましだった。 「俺、負けないから」  事務所にやってきた柏木は、明らかに憔悴していた。提訴のきっかけを作ったのは彼であると、世の中にばれていた。当初こそ反論していた彼だが、しばらく経つと表情が暗くなっていった。 「事務所も、親も、次々と女性を紹介してくるんだ。その気がないこと知ってるのによ」 「誹謗中傷に対しては、俺が戦ってやるから、心配するな」  無二の親友、いや、戦友となっていた彼への言葉は本気だった。  彼は力なく笑った。  事故が起きたのはその晩だった。 「俳優の柏木、ひき逃げ事故にあう」  テレビのニュースでそれを知った。  青信号を渡っていた柏木に、赤信号を無視した車が突っ込んできたらしい。運動神経が良い柏木は、寸前でかわしたようだった。しかし、バランスを崩して地面に頭を打ってしまった。そして、意識不明のまま病院に運ばれたのだった。  さすがの俺でも、この事故にはショックを覚えた。 「婚約者の柏木さんが、こんなことに……」  その中継を目にしたのは翌日だった。ハンカチで涙を拭きながらリポーターの質問に答える女性。CMに多数出演している有名な女優。 「婚約って、柏木さんは結婚しないと公言されていましたよね」 「いいえ、私たちは婚約していました。証拠はほら……」  手書きの書面をテレビカメラの前に開いて見せた。直筆の署名。それは、俺の目から見れば明らかな偽造だった。 「ここまで、来てしまったか……」  日本がおかしくなってしまった。事故はおそらく、この女優が仕組んだのだろう。死なない程度の事故を起こして、柏木の婚約者に納まることを算段して。 「目を覚ましたときには、法律は無効になってるからな」  見舞い先の病院、眠り続ける彼の枕元で意を決した――。  訴訟はあり得ないスピードで進んだ。結論を急ぎたい国の意向が働いたのだろう。そして、結果にも意向が反映された。  一審、敗訴。しかし、即座に高等裁判所に控訴した。  俺には後押しがあった。未婚率は10%を切っていたが、既に結婚を決めた多くの人間が、法律に不満を持っていることが分かったからだ。  非公式な調査によると、約六割に不満があるとのことだ。 「俺たちは、種々の理由で結婚せざるを得なかったのですが、三年したら別れます。訴訟、がばってください」  そんな事を、わざわざ告げにきたカップルもいた。見えざる声が、俺を突き動かしていた。  未婚率が5%を切ったとき、政府は次の手を打った。  頭打ちの未婚率に改善が見込めないため、更なる強制力を持たせる法案を通過させたのだ。  ――年末までに結婚、もしくは、婚約に至らない適齢者は禁固刑とする。  施行されたのは六月、半年以内に少なくとも婚約まで至る必要がある。 「私たち入籍します~」  有名な歌手同士が会見を開いたのは、数日後だった。「結婚などしません!」と(かたく)なに否定していた者同士だったので、世間を驚かせた。  その後も難攻不落と思われていた有名人が次々と婚約会見を開いた。罪人になると仕事は貰えない。たとえ、偽装だとしても結婚する方がましという理屈だ。  十月末、禁固刑になるまで二カ月の時点で、未婚者はついに、男性十名、女性十名までに減ってた。一般人が含まれているのに、二十名は雑誌に顔をさらされ、経歴や趣味、趣向がつまびらかに明かされた。 「私が悪法を止めます」  俺は賢明に説明したが、次々とカップルが出来上がり離脱していった。デブでハゲのおじさんと、若い美女というあり得ない取り合せもあった。それは、それでラッキーな気もするが。  控訴審も、あり得ない速度で進んだ。マスコミは相変わらず、未婚者を非国民的に扱う論調だったが、SNSなど個人発信のメディアでは、法律に反対する主張が見られた。  十二月一日。  残り期間が一か月を切ったとき、一通の書留封筒が俺の元に届いた。 『明日、霞が関まで来ること』  差出人は内閣府だった。まるで、徴兵の赤紙だ。  そうなるであろうことは予測していた。なぜなら、その時点で、未婚者は男性が俺一人、そして、女性が一人。女性の名は「早乙女」といった。  俺は、テレビを通じて彼女の事を知っていた。彼女も俺とは別の手段で、政府に立てついていたからだ。  呼び出されて着いたのが、霞が関にあるビルの最上階、クイズでも始まるのかと思わせるようなセットが設営された部屋だった。 「最後の一組のカップル成立、その歴史的瞬間を皆様の前で。さあ『婚活リアリティーショー』始まります!」  男性アナウンサーが声を上げると、客席から拍手が起こる。俺たちを盛り上げて互いに好意を抱かせるという作戦らしい。  相手の女性は、気鋭の経済学者。三十五歳という若さですでに教授。世界で一目置かれる研究者だった。  整った顔立ちには強い意志が感じられ、鋭い眼差しは知識と洞察力を秘めているように思えた。
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