第四十一話 最後の婚約者

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「では、互いに自己紹介をお願いします」  俺の経歴は雑誌などで公表されていたので手短に話した。彼女も、能面のように感情を表にだすことなく「経済学者です」とだけ発した。 「お互い、結婚を考えておられないとのことですが、理由を教えてください。私には、知性派でお似合いのお二人に見えますが」  俺はむず痒いものを感じつつ、ここではっきり言わねばと腹をくくった。 「ご存じの通り、私は婚促法が憲法違反だとして提訴しております。理由は――」  これもテレビや雑誌で公表され、叩かれもしている内容なので知らない者はいないだろう。しかし、自分の口で語る意義は大きい。長い講釈のあと、アナウンサーは溜息をつきながら、早乙女さんはいかがですか」と振った。 「その論法では、法理論だけの話に拘泥してしまい、政府の悪行を止めることはできません」  彼女は背筋を伸ばして、強めの語気でキッパリと言った。  この女、味方じゃないのか?  彼女は、俺と同じく婚促法に反対する者だ。同床異夢。目指す山頂は同じでも、山を登るルートは違うのだ。  彼女は延々と持論を述べた。 「このやり方では、一時的に子供は増えても持続的な伸びにはつながりません。なぜなら、人の心のファクターが抜けているからです。幸せのファクターを組み込むのは容易ではありませんが、私は無視してはいけないと考えています」  最初は懐疑的だったが、聞いているうちに、なるほどと思えてきた。そして、彼女の知識、洞察力に尊敬の念を覚え始めた。  俺たちは、同じホテルに宿泊させられた。話すのはラウンジでと決められていた。そこには、二十四時間、スタッフがカメラを構えてスタンバイしていた。どうやら四六時中、放送しているようだった。  俺たちは、昼間はつまらないマッチングゲームをやらされた。そして、夜はラウンジで激論を交わした。 「世論を味方につけないと、訴訟には勝てないと考えます」  彼女はニコリともせずに持論を展開した。出会って二週間経過していたが、彼女は笑うどころか、ほのかに笑んだことすらなかった。 「君は訴訟というものが分かっていない。ゴシップ的に世論をコントロールしても判決に影響はでない」 「そうなの、面白い」  面白いは、彼女の口癖だった。知らないことを知ったときに、その言葉が出るようだった。学者の例にもれず、彼女は勉強熱心だった。翌日には、俺の言ったことの背景を勉強して、反論してきた。 「法律における定説の判断は、時代で変わるそうですね。その時に会った解釈をする、それが法律の適用というものでしょ?」 「では、君の論が世論を変えると?」  自信ありげに彼女がうなづく。 「強制的な婚姻は、幸せを産まないので、破綻します。強固な子育て支援こそが地道で唯一の解なのです」 「ではやってみてくれ。俺は法律面で、君は経済面でアプローチする」  彼女は小さくうなづいた。恋愛要素のかけらもないトーク。これらも全て中継されていた。二人の会話は政府にとって不利なものに思えた。しかし、違うのだ。  年が明けた瞬間、俺たちは逮捕される。見せしめだ。反対する人間はこうなるという、最も良い例となるのだ。  そして、ついに大晦日がやってきた。  俺たちの番組は紅白歌合戦の裏番組として放送されるらいしい。  そして、この中継は世界的にも注目されていた。日本のやり方が成功すれば、これから少子化を迎える国々の参考になるからだ。  時刻は午後十一時三十分を過ぎた。  スタジオは静まり返っていた。観客もアナウンサーも黙って見守っている。「なぜ、結婚しない! 非国民」とビルの外では抗議運動が起こっていた。しかし、スタジオ内ではそういった声は上がらない。  彼女は目を閉じて動かない。どこに視線を向ければいいのか分からないのだ。  彼女と激論を交わした、この一か月を回想した。  彼女の向学心につられて、俺も経済学について相当に勉強した。彼女からも色々と教わった。互いに切磋琢磨できた満足感があった。  ――俺と付き合わないか?  そう言ったら、彼女は「はい」というだろうか?  変人という点では、似たもの同士だ。変人同士なら、うまくいくのではないか?  俺は首を振って、妄想を振り払った。そんなことをしたら、政府の思うつぼだ。一度決めたら、やり通すのが俺のやり方だ。きっと彼女も。  部屋の片隅には、スーツ姿の屈強な男が二人立っていた。おそらく警察官だろう。深夜零時を超えた瞬間に、俺たちを逮捕するのだ。  日本中、いや、世界中で放送されている番組の中で。  ブブ……と低い振動を感じた。  手元においていたスマートフォンだった。アナウンサーの許可を得て、俺は電話に出る。 「何? ……そうか」  アナウンサーの手元にスタッフが慌てて、原稿が書かれた紙を届けていた。 「今、高等裁判所の判決が出たとのことです。原告敗訴。法案は維持との判断です!」  こんな深夜に判決が出ることはない。演出の一環だ。俺たちをギリギリまで揺さぶるために、政府が裏から手を回したのだろう。  アナウンサーの目が「婚約してくださいと言え、さもなくば……」と告げているように思えた。俺は時計に目をやる。あと五分。  逮捕されたら有罪は確定。そうすれば弁護士バッチを外さなければならない。  諦めて、適当な女性と結婚すればよかったのか? 意固地になる理由などなかったのではないか? 親や同僚の顔が脳裏によぎる。  俺は目を閉じて考えた。彼女も経済学者としての地位を維持したいはず。利害は一致している。しかし……。  目を開いた俺は、スタジオ、アナウンサー、そして、彼女を見た。まもなくタイムリミットだと分かったためか、彼女は黙って俺の方を見ていた。 「連絡したいところがあるのですが」 「えー、どうぞ」  驚いた表情を見せたアナウンサーが、スマートフォンを使う許可を出した。  口元を手で隠して電話を掛けた。 「よく聞き取れなかったのですが、どこに何の連絡をしていたのですか? あなたが注目されていることはご存知ですよね。隠し事はなしですよ」  そう言うアナウンサーの元へまた、原稿が届けられた。目を通すなり、彼の眉がつり上がっていくのが見て取れた。 「速報です。高梨法律事務所が最高裁に控訴することを決定しました。繰返します――」  この自体を予測して、その準備は整えていた。先ほどの電話で事務所に進めるように指示をしたのだった。 「高梨さん。これが何を意味するかお分かりですよね」  アナウンサーは「救ってあげようと考えていたのにと」言わんばかりにあきれ顔をした。 「早乙女さん」  俺はアナウンサーを無視して、彼女を見据えた。予想外の呼びかけに彼女は、少しだけ目を見開いた。 「次の作戦会議は拘置所で。いかがですか?」  俺は不敵な笑みを作った。  数秒の間をおいて、彼女も同じように笑った……気がした。  まばたきをしていたら見逃すほど一瞬ののち、彼女はいつもの無表情に戻っていた。 「それ……面白そう」  十二時を知らせるベルが鳴り響いた。スタジオが騒めき始める。大柄の男性が、俺と彼女の方に近付いてきた。  後悔はない。  アナウンサーは、プロデューサーらしき人物とヒソヒソと話していた。そして、大声でこう告げた。 「皆さん、今から移動していただきます! 次の中継は拘置所からです!!」 (了)
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